【トランプ外交】 宮本 雄二さん

西日本新聞

◆商業道徳と国際信義

 1937年に盧溝橋事件が起こり、全面的な日中戦争が始まった。このときに外務省の東亜局長をしていたのが、石射猪太郎氏だ。彼の『外交官の一生』という本を再読していると、次のような一節に出くわした。

 「外交に哲学めいた理念などがあるものか。およそ国際生活上、外交ほど実利主義的なものがあるであろうか…。外務省の正統外交も、これを集大成した幣原外交も、本質的にはこの損得勘定から一歩も離れたものではない…。この意味において、外交は商取引と同じである」

 なんだか米国のトランプ外交のことを言っている気がしないでもない。納得できずに読み進むと、次の一節があり、わが意を得た。「商取引に商業道徳が重んじられるように、外交には、国際信義がある。商人が不渡り手形を出したり、契約を実行しなかったりすれば、その店はついに立ちゆかなくなる。国家が国際条約を無視し、謀略をほしいままにすれば、その国際信用は地に落ち、自ら破綻の基を開く。この国際信用を維持し、発揚するのが外交の大道であり、特に幣原外交は、力強くこの大道を歩み、一歩だも横道にそれなかった」

 トランプ大統領がまだ証明できていないものは、トランプ外交に「商業道徳」なり「国際信義」なりがあるかどうかという点だ。相手の想定外の発言や行動をすることで、相手を驚かせ、自分に有利な取引を完成させる。一度できた合意も「ちゃぶ台返し」でご破算とし、相手が動揺している隙を突いて、自分にさらに有利な取引に持って行く。このトランプ流のやり方が、現在、ものごとを動かしているように見える。

   ---◆---

 長い目で見れば、このやり方が外交の世界において成功することはないだろう。トランプの在任期間、恐らく中国の習近平国家主席もトップであり続ける。各国はトランプ外交に関する知識と経験を蓄積していく。外交では騙(だま)されたほうが悪い。だから騙されないように懸命に腕を磨く。「奇手」は、1回は効くが、その後は先を読まれて、誰も反応しなくなる。騙したり嘘(うそ)をついたりする人や国は、もう誰にも信用されない。

 外交に「信用」や「信義」などというものが、そもそも存在するのか、という本質的な疑問もあろう。結論は、やはりある、というものだ。外交は「マキアヴェリズム」そのものではないかという反論もあろう。しかし塩野七生氏は『わが友マキアヴェッリ』の中で「(マキアヴェッリは)人間は基本的に悪しき存在であるとは、信じていなかった…。彼の探求分野は、善悪の彼岸にあった」と述べている。信用や信義の否定ではなく、それを外交の「道具」として使うということだ。私の経験でも、信用や信義があるとないとでは、交渉の結果に雲泥の差が出てくる。

   ---◆---

 しかしながら、トランプ外交が米国全体の変化を表している点は注意が必要だ。米国には“超大国疲れ”が見える。軍事力を維持し、お金を出してここまで世界平和と繁栄のためにやってきたのに、結局、他の国々が得をし、損をしているのは米国だと感じる人が増えているのではないだろうか。それがトランプ外交の“米国第一”であり、“単独主義”の主張になる。米国の不満にも、実は一理ある。米国市場は開放されているし、資金的、軍事的負担もダントツに大きい。現在の国際秩序の原則を堅持したまま、国力の相対的変化に合わせて責任と負担の調整を始める時期が来たということだろう。

 トランプ外交は批判しつつも、それが突きつける課題に、日本を含む国際社会は真剣に向き合う必要がある。

 【略歴】1946年、福岡県太宰府市生まれ。修猷館高‐京都大法学部卒。69年に外務省入省。中国課長、アトランタ総領事、ミャンマー大使、沖縄担当大使などを歴任。2006年から10年まで中国大使。著書に「強硬外交を反省する中国」など。

=2018/07/23付 西日本新聞朝刊=

PR

社説・コラム アクセスランキング

PR

注目のテーマ