オウムの恐怖と違和感 都市圏総局次長 吉田 賢治

西日本新聞

 熊本地裁の狭い記者室に白い布を敷いた大きないすが用意され、巨体を揺らして男が座った。オウム真理教の教祖麻原彰晃(松本智津夫元死刑囚)。教団の乱発する訴訟などの取材に1990年から関わり、その一方的な主張を聞いた。駆け出し記者だった私は、教祖に近寄りがたい印象はなく、むしろ、かいがいしく世話をする取り巻きの教団幹部がひどく異様に見えた。

 この頃、教団は熊本県波野村(現阿蘇市)に道場を築き、信者の住民票を村が受理しないのは違法と訴えていた。主な取材相手は信者でもある顧問弁護士。か細い声で「憲法で保障されている居住の自由が侵されている」「宗教弾圧」などと語る姿に、他の報道メディアの若い記者も「オウムの主張も分かる」と感じていたように記憶している。

 既に信者の出家を巡るトラブルが相次いでいた。陰で坂本堤弁護士一家殺害事件が起きていたのだが、まだ事件への関与は明確でなく、熊本には信者の人権尊重を求める一般市民の団体も存在した。

 一方、先輩の阿蘇支局長は村の悲痛な声を記事で伝えていた。2千人ほどの村に信者数百人が“移住”し「村が乗っ取られる」との強い危機感があった。教団は権利のみを主張し、狭い林道を大型トラックで行き交うなど、静かな暮らしを乱してもいた。

 法律の「理」と人間の「情」、どちらが優先されるか。当時はそんな命題に思えた。

 だが、その後、教団の残忍な犯罪行為が次々に明らかになり、オウムは日本社会全体の敵になった。少しでも理解を示すような言動は排除され、みな口を閉ざしていった。

 そこに、どこか違和感を抱いていた。今、思う。教団が集団化で暴走したと同時に、外側の世界も「オウム=悪」で集団化し、私も含め思考停止に陥ったのではないか-。

 オウムを題材にした作品がある映画監督の森達也さんは、松本元死刑囚ら7人の刑執行後、「オウムの異常性ではなくて普遍性を見つめるべきだ。集団になじみやすく個を捨てがちな日本人だからこそ、そこには歴史的な教訓が絶対にある」と語っている。

 刑事事件としては決着したのだろうが、事件の背景に何があったのか。それにまつわる社会の問題点は解明、解決されたのか。森さんの言う再発防止の教訓を共有できないまま、私たちは「オウムの恐怖」のみを受け継いでいる。

 凶悪犯罪集団と化したオウムを弁護する気は全くない。ただ「共通の敵」を前に、一方向に突き進む日本社会の体質は、戦前から変わっていないのではないだろうか。

=2018/07/24付 西日本新聞朝刊=

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