五島列島、共生の歴史 長崎

西日本新聞

 6月末、世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。まだ世界遺産登録を目指していた数年前、建築様式の美しさに引かれて五島列島の教会群を訪れた。あのときはただ見て回るだけだったが、歴史的背景も含めて理解を深めようと、五島列島へ渡った。

 長崎港から高速船で福江港に降り立った。バスで赤いれんが造りが美しい堂崎教会へ。NPO法人長崎巡礼センターの入口仁志事務局長(72)の説明に耳を傾ける。

 五島におけるキリスト教の始まりは、領主宇久純定が宣教師ルイス・デ・アルメイダらを五島に招いた1566年にさかのぼる。教えを学んだ家臣たちに始まり、信徒は拡大。しかし1614年に禁教令が出る。1873年に禁教高札が撤廃されるまでの259年間、ひそかにキリスト教由来の信仰を続ける潜伏キリシタン時代が続いた。

 2日目、海上タクシーで久賀島に向かった。久賀島は長崎市外海地区から潜伏キリシタンが移住し、新たな集落が形成された地域がある島だ。

 まず訪れたのは、潜伏キリシタンへの弾圧が行われた牢屋(ろうや)の窄(さこ)殉教地。12畳ほどの広さに約200人が入れられ、42人が命を落とした。そばにある牢屋の窄殉教記念教会堂に移動すると、じゅうたんが色分けされていた。「これが牢屋の広さです」と入口さん。いかに過酷な状況下に置かれていたかが分かる。

 次に、外海地区から移住してきた潜伏キリシタンによって形成された五輪集落にある、旧五輪教会堂を訪れた。和風の外観が目を引くが、内部はアーチ形の天井など洋風のしつらえ。窓から目の前の海を眺めると、すっと心が落ち着く。

 奈留島へ移動し、世界遺産登録された江上集落にある江上天主堂へ。白壁と水色の外観が印象的な天主堂は、各地で教会建築を手掛けた鉄川与助による木造教会。禁教解禁後、キビナゴ漁で得た資金を元手に建てられた。柱に手書きした木目模様、花を描いた透明ガラスが特徴だ。

 信徒たちは鉄川に「壊れない教会を、木造りで」と依頼したという。禁教を経た彼らは物理的側面だけでなく、心理的側面でも信仰を続ける共同体が壊れないように、との思いを託したように感じた。

 若松島の若松港へ向かう途中、信徒たちが弾圧を逃れるために身を隠したキリシタン洞窟も見学した。断崖と海に囲まれ、船でしか行けない厳しい環境。当時の人々がいかに切迫した状況に追い込まれていたのかを想像した。

 若松港からバスを乗り継ぎ頭ケ島天主堂へ向かう。この石造りの教会も鉄川が手掛けた。信徒も石の切り出しや運搬、積み上げなどで汗をかき、10年近くの月日をかけて完成させたという。

 「多くの教会建築を手掛けた鉄川与助ですが、実は仏教徒。天主堂そのものが、この地域の共生の象徴になったような気がするんです」と入口さん。信仰の違いを超えて互いに信頼し合い、長い月日をかけて完成させた天主堂。その重みを感じずにはいられなかった。

 ●メモ

 JR九州の特急「かもめ」で博多から長崎まで約2時間。長崎港から福江港までは九州商船の高速船で約1時間25分。久賀島や奈留島、中通島などへは福江港から連絡船があるが、効率よく回るには海上タクシーやツアーも便利。JR九州長崎支社は、旧五輪教会堂や頭ケ島天主堂などを訪れるツアーを販売している。

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 ●寄り道=五島うどん 強いこし

 五島列島を訪れたら、ぜひ味わいたいのが「五島うどん」だ。こしのある細麺が特徴で、讃岐うどん(香川)、稲庭うどん(秋田)と並び、日本三大うどんの一つとされる。一説では、遣唐使の時代に中国大陸から製法が伝わったという。

 ぐつぐつと煮立った鍋で湯がいた麺を、だしにつけて食べる「地獄炊き」でいただく。うどんをすくう専用の道具を使うと、不思議と麺が滑ることなく上手に取り分けられる。もちもちした食感とつるりとしたのどごしで、食欲が落ちる夏の暑い時期でもぺろりと食べられる。

 地元の人は、魚の煮汁をうどんのゆで汁で割って、だしにするのだとか。魚のうま味と細麺が絡まり、食が進むこと間違いなしだ。

=2018/08/01付 西日本新聞夕刊=

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