卑弥呼の国の謎解き 文化部次長 古賀 英毅

西日本新聞

 久しぶりに「卑弥呼」の名前が新聞紙面に出てきた。

 邪馬台国の有力候補地の一つ、纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で出土したモモの種について放射性炭素を使って年代測定したら、2~3世紀と判明したというニュース。女王・卑弥呼の時代と重なり、邪馬台国近畿説が強まる情報との意義付けだ。ただ、専門家の間では、必ずしも邪馬台国に結び付けられる結果ではないとの見方も少なくなかった。

 古代史解明の手法が科学的に進化しても、「邪馬台国はどこか」は歴史ファンの大きな関心事。最近は九州説より近畿説が優勢だが、九州から近畿への東遷(とうせん)説もある。九州説でも福岡平野だ、筑後平野だ、佐賀平野だ、宇佐だと、いまだ百家争鳴状態だ。この問題には古代の謎解きロマンにとどまらない意味がある。

 卑弥呼の名が世に知られているのは、3世紀の中国・魏王朝と外交関係を持ったと歴史書に記されていたからだ。2世紀初めには倭国王の帥升(すいしょう)が中国に遣使している。纒向のモモの種の直前の話だ。それ以前の1世紀には奴国王の使節が中国皇帝から金印を授かる。福岡市の志賀島出土の「漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)」印がその可能性が高く、奴国は福岡平野というのが定説だ。外交権を掌握した勢力が国を代表するという視点で考えると、古代東アジアで圧倒的存在感があった中国と交渉したこれらの王を、中国側は倭の代表とみなしていた、と言ってもいいのではないか。とすれば1世紀の倭の“王家”は福岡にあったとの説も成り立つ。

 ここで、邪馬台国が九州だったなら、その“王家”の延長線上にある国と考えるのが順当で、大和政権の拠点・近畿との連続性は乏しい。もし近畿なら、その“王家”を征服したか全く無関係ということで、新勢力が新たな“王家”になったことになる。東遷なら継続の可能性は残る。天皇の万世一系を描く神話が初代・神武天皇の「東征」を語るのは、その示唆か。もっとも、近畿説の研究者にも邪馬台国と大和政権との連続性に疑問を持つ人はいる。

 来年4月末で天皇陛下が退位され、神武天皇以来第126代の新天皇が即位される。その系譜に、考古学や文献で存在が指摘される倭の代表たちを明確に位置付けるのは難しい。それが研究の現状だ。関係はあるのか、ないのか。卑弥呼の国の謎解きは、日本列島の王家の草創期を解き明かす重要なヒントにもなる。

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 ▼こが・ひでき 福岡県大牟田市出身。九州大卒。1989年入社。日田支局、佐賀総局、スポーツ編集部などを経て2015年から文化部。

=2018/08/10付 西日本新聞朝刊=

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