特攻隊員の悲劇繰り返すな 故郷日田に永久の別れ イチョウの木 上空を何度も旋回

西日本新聞

 第2次世界大戦末期、日田市出身の特攻隊員が故郷にある1本のイチョウを目印に菓子入り袋を落とし、両親に「永久の別れ」を告げた-。同市中ノ島町の亀山公園そばのイチョウにはそんな逸話が残っている。

 1945年の初夏の晴れたある日、14歳だった高瀬忠義さん(87)は、敵機監視のためにイチョウに設けられたやぐらに登っていた。昼前、特攻隊の中継基地だった福岡の陸軍大刀洗飛行場の方角から1機の戦闘機が飛来。低空で何度か旋回し、当時は珍しかったキャラメルなどが入った袋をイチョウに向かって投下した。投下後も名残惜しそうに旋回し、最後に機体を大きく揺らして、鹿児島県の知覧の方角へ飛び去ったという。高瀬さんは「両親や故郷への別れを告げに来たんでしょう」と振り返る。

 イチョウの近くに住んでいた松井和子さん(79)=同市豆田町=は、投下された菓子の一つを拾った。空から小さな落下傘が舞い降りてきて近くの墓地に落ちた。追いかけて拾うと、両手におさまるくらいのキャラメル1箱が付いていた。「惜別の菓子」と知ったのは、それから数十年も後のこと。知人に教えられ、改めてイチョウを見に行った。「驚きました。後世に伝えないといけませんね」

 近くの日隈小は2015年から、平和学習で逸話を伝える活動を続けている。原爆投下から73年の「広島原爆の日」を迎えた今月6日、6年生がイチョウの前で、1年生約50人に逸話を基にした人形劇を披露。特攻隊がどんな役割を担わされていたかなどを伝えた。1年生は話に聞き入り「木は知っているけれど、そんなに昔からあったことは知らなかった」と感想を話した。6年の長尾一朗君(11)と松尾瑠菜さん(12)は「戦争の悲しみや苦しみが伝われば」と願った。

 イチョウの木の傍らに逸話を刻んだ記念碑がある。高瀬さんらが戦争の記憶を残そうと11年に建てた。末尾にはこう記されている。

 この古木には、さまざまな歴史の一こまが刻み込まれており、我々に多くのことを語りかけている

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■帰らぬ姿 胸に焼き付く 別府の旅館女将、碑を建立

 別府市観海寺の観海禅寺に、第2次世界大戦末期に出撃前の海軍特攻隊員が「最後の休息」を求めてわずかな時を過ごした旅館「杉乃井館」の女将(おかみ)らが建てた慰霊碑「憩翼碑(けいよくひ)」がある。毎年8月、この碑の前で市老人クラブ連合会が慰霊祭を開いており、今年も11日に約50人が参列した。ただ年々高齢化が進み、関係者は少なくなっている。同連合会は「碑の存在や女将の悲しみを多くの人に知ってもらい、平和を願う気持ちを後世に引き継いでもらいたい」と願っている。

 同連合会や関連資料などによると、杉乃井館は1938年、神戸市の貿易商が開業し、西村勝乃さんが女将を務めた。別府には戦時中、海軍兵士らが慰労のためたびたび訪れた。特攻を控えた多くの隊員も訪れ、西村さんの世話で疲れを癒やし、戦地へ赴いていったという。

 憩翼碑は53年、若い隊員の死を悼み、西村さんらが建立した。高さ約3メートル。特攻機の操縦かんを握る隊員のレリーフが刻まれている。建立を祝う式典で、西村さんは「『おばさん、行ってまいります』と大空へ飛び立ったまま帰らぬ悲しき現実が今なお胸に焼き付いています」「あのいまわしき戦争を繰り返してはならない。どうか日本のやすらけき平和の日の恵みを大空のかなたから見守りください」という気持ちを示したという。

 慰霊祭は戦後、海軍関係者らが開いてきたが、高齢化を理由に2005年から同連合会が引き継いだ。11日は参列者全員で黙とうし、一人一人焼香した。

 同連合会の林三男会長は「この碑には二度と戦争をしてはいけないという誓いが込められている。慰霊祭は関係者が執り行ってきたため、別府の人も知らない人が多いのではないか。8月以外でも、特に若い人に足を運んでもらえれば」と話した。

=2018/08/15付 西日本新聞朝刊=

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