病や事故乗り越え…慰霊の地を再生 捕虜の鎮魂への思い 夫婦で10年かけ花園に

西日本新聞

 第2次大戦中に炭鉱などでの強制労働で死亡した外国人捕虜を慰霊する福岡県水巻町の「十字架の塔」の周囲を、約10年かけて彩りの絶えない花園に変えた夫妻がいる。同町の黒河省二さん(71)と知愛(ちあい)さん(80)。約30年前に元捕虜らを招く献花式を立ち上げ、今も町で続くオランダとの交流の礎を築いて一線から引いたが、塔近くにつくった花壇の荒廃を見て奮起。事故の後遺症や大病に見舞われながらも、再び花に囲まれた慰霊の地に復活させた。

 8月上旬の夜明け前、町中部の多賀山中腹の道を登ると、斜面一面の花園が現れる。遅咲きのアジサイが咲く中、黒河夫妻は黙々と草刈りに汗を流していた。傾斜地での作業は週2~3回、長いときは1日8時間かけて手入れする。

 水巻町の「日本炭礦(こう)高松炭鉱」は終戦直後、炭鉱近くの山に「十字架の塔」を建立したという。省二さんは、父親が同社に勤務していたこともあり、1986年にオランダ人の元捕虜が朽ちかけた塔の整備を訴えていることを知り、慰霊を思い立った。

 夫妻は、やぶに覆われていた塔の周辺の草刈りから始め、翌87年に元捕虜らが参列する献花式を自費で開催。その後も毎年のように献花式を開いた。

 だが、96年に省二さんが事故で頭を強打し、新しいことをよく記憶できない障害などに苦しんだ。夫妻で健康食品の訪問販売事業を営んでいたが、省二さんは仕事を続けられず、献花式の運営も親族に任せた。

 リハビリを10年以上続けていたある日、塔周辺を清掃していた省二さんは「突然頭の中のもやが晴れるような感覚になり、花壇が荒れ果てていることに気付いた」という。

 さっそく夫妻は、傾斜地に広がる木ややぶを伐採。塔周囲だけだった花壇を大幅に広げた。「人の心のこもった花がなければ、魂は救われない」との思いが突き動かしていた。

 だが、今度は知愛さんが試練に見舞われた。2011年に白血病と診断され、余命の宣告を受けた。

 「どうせ死ぬなら好きなことを」と花の手入れを続けていると、8カ月後には血液は正常な状態に戻っていたという。知愛さんは「塔のみ霊が(2人を)治してくれたのでは」とほほ笑む。

 夫妻はこれまで行政の援助なしで活動を続けてきた。花園にある約80種類の花は、ほぼ全てが一般の人から寄贈されたもの。段ボール2箱分の花が塔近くに置かれていたこともあった。2人は花園をこう呼ぶ。「小さな絆の花公園」

 最近、衰えを感じ始めた夫妻は、若い世代への継承を考えている。「将来オランダからの慰霊団が途絶えても、塔の歴史を語り継いでほしい」。夫妻は猛暑が続くこの夏も、花の手入れに余念がない。

=2018/08/20付 西日本新聞朝刊=

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