【平成最後の「二百十日」】 姜 尚中さん

西日本新聞

◆国内外に大変動の兆し

 二百十日(にひゃくとおか)は立春から数えて210日目、つまり9月1日ごろを指しているが、熊本・阿蘇を舞台に主人公の圭さんと碌(ろく)さんの軽妙な掛け合いを描いた漱石の『二百十日』は、動乱を予兆するかのような激越な調子で終わっている。

 「二人の頭の上では二百十一日の阿蘇が轟々(ごうごう)と百年の不平を限りなき碧空(へきくう)に吐き出している」と。

 日露戦争後の、カネ塗(まみ)れの立身出世主義と道義の退廃、社会の閉塞(へいそく)に対する漱石の満身の怒りが透けて見える表現である。

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 社会に閉塞感が漂う平成最後の二百十日(9月1日ごろ)を考えると、漱石の『二百十日』が過去の話には思えなくなる。なぜなら今、日本の内外に激烈な変化が兆しているように見えるからだ。

 まず、国内では自民党総裁選挙。下馬評では現職の安倍晋三氏が断然有利のようだが、対抗馬の石破茂氏が持ち前の理路整然とした弁舌で安倍総裁に食い下がれば、隠れ石破支持の票が動き、安倍総裁圧勝というわけにはいかなくなる。そうなれば、総裁選後、安倍内閣のレームダック(死に体)化が進んでいくことも予想されるのだ。

 その動向は沖縄の県知事選挙にも大きな影響を与えるはずだ。もし翁長雄志(おながたけし)前知事の遺志を継ぐ候補者が「弔い合戦」で地滑り的な勝利を収めることになれば、辺野古への基地移設をめぐる国と沖縄県の対立は抜き差しならない事態に陥るかもしれない。

 もちろん、安倍総裁が総裁選で圧勝し、また沖縄県知事選挙でも政権与党が勝利を収めることも予想される。いずれにしても、国内だけを見ても、二百十日に大きな政治的変化が起きないとも限らない。

 さらに外に目を転じれば、9月9日には北朝鮮の建国記念日が控えている。

 北朝鮮がどんなメッセージを内外に発信するのか、その動向が注目される。それ次第で、9月中に予定されている韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長による3回目の南北首脳会談の成否も左右されるし、それ次第で2回目の米朝会談開催も視野に入ってくるかもしれない。

 ベストなシナリオは、北朝鮮が実効ある核放棄や長距離弾道ミサイル廃棄に踏み込むのと同時に、朝鮮戦争の終結が米・韓・北3カ国または中国を加えた4カ国で宣言される場合である。そうなれば、東アジアの安保環境は激変し、それは戦後日本の安全保障政策の根幹を揺るがすことになりかねない。

 さらに、9月11~13日にはロシア極東ウラジオストクで「東方経済フォーラム」が開催され、日朝首脳会談の可能性も浮上してくるかもしれない。それも、南北関係や米朝関係の帰趨(きすう)に左右されるとはいえ、日朝交渉の劇的な変化もあり得ないわけではない。

 こうした外政の一連の変化において焦点は、朝鮮半島の変化である。もっとも、南北間の亀裂や米朝間の膠着(こうちゃく)がエスカレートすれば、昨年の「朝鮮危機」の再来になりかねず、最悪、武力衝突の瀬戸際に近づくことも予想されないわけではない。

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 いずれにしても、2018年の二百十日、日露戦争以後、日本の朝鮮半島に対する地政学的な安全保障上の戦略的な核心が、大きく変わるかもしれないのだ。

 長州軍閥の首魁(しゅかい)、山縣有朋(やまがたありとも)によって明治国家の事実上の国策とみなされ、戦後の冷戦下、新たな形でよみがえった、日本列島を「主権線」、朝鮮半島を「利益線」とみなす地政学的な戦略に変化がもたらされるかもしれないのである。

 それが、平和裡(り)に進行するのか、それとも暴力的な犠牲を伴うのか。平成最後の「二百十日」はその分岐点になるはずである。

 【略歴】1950年、熊本市生まれ。早稲田大大学院博士課程修了後、ドイツ留学。国際基督教大准教授、東大大学院情報学環教授、聖学院大学長など歴任。4月から鎮西学院院長。専攻は政治学、政治思想史。著書に「漱石のことば」など。

=2018/08/20付 西日本新聞朝刊=

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