フォーク編<392>私のベストソング(1)
「フォークカフェ カンドレ」。国道202号線沿いの、福岡県糸島市高田に、この看板が大きく掛かった店がある。カンドレという名前に、どんな意味だろうと思う人もいる一方で、そうかそうか、と微笑(ほほえ)む人もいる。
「知る人ぞ知る、そしてインパクトのある店の名前にしたかった」
マスターの山下聖一(54)は名付けについてこう語った。
カンドレはシンガー・ソングライターの井上陽水がデビュー時に使用していた「アンドレ・カンドレ」の名前から取った。
「アンドレ・カンドレにするのはあまりにもおこがましく、下の方だけ使わせていただきました」
店は2013年にオープン、糸島地区のフォークの拠点として定着している。店名からして陽水ファンであることは自明のことだ。山下にとって陽水の曲の中で「私のベストソング」は「東へ西へ」だ。この曲はアルバム「陽水2 センチメンタル」(1972年)に収録されている。
〈昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういう訳だ 満月空に満月 明日はいとしいあの娘に逢える…〉
「不思議な歌詞の魅力もありましたが、イントロのメロディーラインがかっこいいと思いました」
山下はギターを抱えてそのイントロを弾いた。その同じ姿で、最初に「東へ西へ」を本格的に弾いたのは高校1年の時だ。
× ×
高校の入学祝いにギターを親から買ってもらった。ヤマハ2512。今でも店に置いている。
「二つ上の姉がフォークファンで、よく聴いていた。多分、カセットと思いますが、そこから流れていたのが『東へ西へ』でした」
文化祭でも演奏するなど高校時代まではギターが友だった。卒業後、5年ほどサラリーマン生活をしたが、転職し、JR周船寺駅前で持ち帰りの弁当屋を始めた。必死に働き、フォーク、ギターとも疎遠になった。50歳近くになって、中学生の息子が「ギターを教えて」と言った。
「このとき、『東へ西へ』のイントロがよみがえりました。店の立ち退きの問題もあり、フォークの店をやることを決めました」
フォークのレコードジャケットが壁を埋め、ギターにキーボードがある。昼間は喫茶店だが、夕方になるとフォーク好きが三々五々、集まる。客が自由に演奏できる空間に変わる。
「糸島周辺だけでなく、遠くから訪ねて来るフォークファンもいて、交流が広がっています」
知人のタクシー運転手が福岡市で陽水を乗せたときに、この店があることを陽水に伝えた。陽水は「知っている」と答えた、という。
陽水が店の扉を開ける日が来るかもしれない。
=敬称略
(田代俊一郎)
=2018/08/27付 西日本新聞夕刊=