フォーク編<394>私のベストソング(3)

 福岡市早良区脇山1丁目に喫茶店「モンテビアンカ」がある。モンテビアンカはイタリア語で、フランス語でいえば「モンブラン」だ。マスターの木村一美(71)は30歳半ばごろ、勤めていた日本の機械メーカーと提携していたイタリアの会社に出張したことがあった。そのときに、モンブランの山の懐に旅した。

 「イタリア語のモンテビアンカの響きがいいので、将来、喫茶店をするときにはこの名前にすることを決めていました」

 喫茶店を開くことは若いころからの夢だった。57歳で会社を早期退職し、2003年、故郷の土地にモンテビアンカを開店した。マスターの「私のベストソング」は吉田拓郎の4枚目のシングル「旅の宿」(1972年)である。

 〈浴衣のきみは尾花(すすき)のかんざし 熱燗(かん)徳利の首つまんで もういっぱいいかがなんて みょうに色っぽいね…〉

 「フォークにもこんなのがあるんだ」

 マスターの若き日の音楽体験はベンチャーズ、加山雄三に始まり、GS(グループサウンズ)と進む。ギターは常にそばにあった。日本のフォークは敬遠していた。1960年代後半から70年代初めにかけて、和製フォークはプロテストソングが主流だった。

 「反体制的な歌は好きになれなかった。『旅の宿』をラジオで聴いて、自分たちの身近な生活、感情を歌っていると思いました」

 福岡の大学を卒業し、東京で就職したころだった。仕事を終えてアパートに帰ると、拓郎の曲などを弾いていた。

 福岡市に転勤していた時代は行きつけのスナックで、ギターの伴奏をしていたこともある。

 「無料でしていましたが、伴奏料としてどんなに飲んだり、食べたりしても千円でしたね」 

    ×   ×

 4年前から毎週水曜日の夜は仮に名付ければ「フォークの日」といえる。常連客でミュージシャンの柳田進(70)がマスターに提案してスタートした。

 「ギター、音楽好きな人が集まって楽しめる歌声喫茶的な空間にしましょう」

 演歌、オリジナル曲は禁止だ。マスターの哲学だ。

 「みなが聴いてわかる曲でないとだめです。人がどのように弾いているか、歌っているかがすぐに分かりますから」

 徐々にギターの輪は広がり、周辺だけでなく、福岡一円から集まるようになった。もちろん、お客はコーヒー一杯で、聴くことができる。マスターは笑いながら言った。

 「でも、最近はお客より、プレーヤーの方が多くなって…」

 脊振の山裾に隠れるような三角屋根の店。「音楽があるから人生は楽しい」。モンテビアンカには歌と人の本来的な風景がひっそりと花開いている。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2018/09/10付 西日本新聞夕刊=

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