【隣の米軍・自衛隊】アメフェス 基地の公園、国際情勢映す 友好の舞台、警備に変化も

西日本新聞

 佐世保市の夏の恒例行事「アメリカンフェスティバル」に今年、ある変化があった。

 8月25、26日。炎天下、会場の米海軍佐世保基地のニミッツパーク入り口に行列ができた。セキュリティーゲートの向こうは米国。その手前で、迷彩服を着た米兵が一人一人の身分証や持ち物を点検する。

 今年から中学生、高校生は写真付きの学生証だけで入場できるようになった。昨年までは親の同伴やパスポートが必要だった。米軍と交渉した実行委員会の一人は「すごく大きな一歩」と喜ぶ。夏休みに子ども同士でアメフェスを楽しめるようにしたい-。願いが米軍に通じた。

 アメフェスは1985年から、佐世保青年会議所を中心とする実行委員会と米海軍佐世保基地が共催。90年代以降は市が管理する佐世保公園、隣接するニミッツパークで開かれている。

 ニミッツパークは普段から市民が入ることができ、ジョギングをする人もいる。市基地政策局の職員は「公園とはいえ、日本の市民に開放されている米軍基地は全国でも佐世保だけではないか」と話す。

 開かれた公園は一方で、米国を巡る国際情勢を反映する場でもある。大勢の人が訪れるアメフェスはよりシビアだ。

 2003年から14年までアメフェスは開催できなかった。米同時多発テロ、イラク戦争の影響で、米軍基地が世界的に警備を強化したためだ。

 昨年以降も、トランプ大統領の就任直後や北朝鮮のミサイル問題が過熱したときに、米軍が開催を留保するメッセージを実行委員会に伝えてきたという。「やっぱり相手は軍隊で、軍を窓口に米国と交渉していると実感するときがある」。委員の内海梨恵子さん(39)は打ち明ける。

 現在より開放的な時代もあった。東西冷戦が過ぎた1990年代のアメフェスは、ニミッツパークに身分証なしで入場でき、日本人も屋台の営業ができた。副実行委員長の日高大輔さん(37)は「米国も日本もおおらかだったんでしょうか」とうらやむ。

 米軍と佐世保の「近さ」を象徴するアメフェス。85年の初開催で中心的な役割を担ったのは、当時佐世保青年会議所の理事長だった朝長則男市長だ。

 「米軍と一緒にイベントができるのは全国でも珍しい。米軍も楽しみにしていると聞く。今後も佐世保ならではのイベントとして続いてほしい」。市は県外広報費として200万円の予算を付けた。

 内海さんも「佐世保がこれだけ米軍と仲が良いのはアメフェスがあるから。私たちも次世代につなげたい」と考えている。

 ニミッツパークはこの夏も盛況だった。ゲームや遊具を楽しむのは日本の子ども連れも、米兵の家族も同じ。米軍関係者がテントで調理するステーキを食べた市内の女性(31)は「アメリカの雰囲気も味わえる」と満足な様子。

 ステージから米軍が招いたロックバンドの演奏が響き、星条旗がはためく。国際的緊張もなく、2日間で延べ約16万人が「隣の米軍基地」で週末を過ごした。

   ☆    ☆

 米海軍や自衛隊の基地が市街地にある佐世保。港の風景に軍艦が溶け込み、ほかの街に比べ、米兵や自衛隊員と接することも多い。

 1889年に旧日本海軍の佐世保鎮守府が置かれて以来、軍都として街は成長した。その歴史の礎もあって「米軍や自衛隊に寛容な街」と呼ばれる。基地は経済や文化、人々の暮らしにも影響を与えてきた。

 年号が変わる時代の節目を前に、佐世保の街と基地の関係を日常風景から描いてみたい。

 ◆ニミッツパーク 佐世保市平瀬町にある米海軍佐世保基地内の公園。米独立記念日(7月4日)やアメリカンフェスティバルなど、年に2回ほどイベントが開かれる。名前は第2次世界大戦で米太平洋艦隊司令長官を務めたチェスター・ニミッツ(海軍元帥)に由来する。

=2018/09/23付 西日本新聞朝刊=

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