日田でもキリシタンの「絵踏」 広瀬本家日記、久兵衛日記 場所や人物など記す

西日本新聞

 江戸時代、信仰が禁止されていたキリスト教の信徒を発見するための「絵踏」が、天領だった日田でも行われていたことを記録した日記が日田市豆田町の広瀬資料館で展示されている。園田大学芸員は「日田とキリシタンとの関わりを考えるきっかけにしてほしい」と話す。11月末まで。

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産登録を祝って企画した。展示しているのは、当時の政治や社会情勢などを記録した「広瀬本家日記」と、江戸時代の私塾「咸宜園(かんぎえん)」を開いた広瀬淡窓の弟、久兵衛の「久兵衛日記」。資料館によると、いずれも絵踏を行う場所や対象の地域、人物などが書き残されている。

 広瀬本家日記の1853(嘉永6)年3月15日の記述には「宗門御改め絵踏」とあり、現在の豆田町、中城町、淡窓町の民衆は、長福寺(豆田町)で絵踏を行うことなどが記されている。

 一方、長崎で、キリスト教信徒への弾圧事件「浦上三番崩れ」があった1856(安政3)年の久兵衛日記には3月16日付で、この年から名字帯刀を許された人たちも絵踏の対象になったことが記され、久兵衛を含めた19人の名が記されていた。資料館は二つの日記から日田では、絵踏が毎年3~4月、地区ごとに分かれて代官所や長福寺などで行われていたと分析する。 展示を手伝った雑貨店経営の伊藤豊明さん(69)は「天領の日田は厳しい取り締まりがあったのではないか。それでも密に信仰を守り続けた人たちがいたかもしれない」と推測する。

 午前9時~午後5時。月曜休館。

=2018/09/26付 西日本新聞朝刊=

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