【沈黙の島から カネミ油症発覚50年】(5)名を明かしたからこそ「苦しみ伝わる」

西日本新聞

「カネミ油症を風化させないため、被害を伝えていきたい」と語る下田順子さん(右)と娘の恵さん=2日午後、長崎県諫早市 拡大

「カネミ油症を風化させないため、被害を伝えていきたい」と語る下田順子さん(右)と娘の恵さん=2日午後、長崎県諫早市

 「この50年、カネミの被害を受け続けています」

 6日、福岡市で開かれたカネミ油症発覚50年の報告会。長崎県・五島列島にある奈留島出身の下田順子さん(57)=同県諫早市=が、油症患者の苦しみを訴えた。かつて講演や取材で体験を語るとき、顔も名前も隠していた。油症につきまとう偏見が、わが子の就職や結婚に影響すると考えたからだ。

 今は堂々と名を明かす。公表を後押ししたのは、長女の恵さん(29)=同=だった。

 順子さんはずっと、恵さんに油症のことを話せずにいた。転機は2005年、五島市で開かれたシンポジウム。そこで登壇することになり、高校生になった恵さんを前に、初めて体験を明かした。

 爪は変色し、体には湿疹が絶えない。それを理由にいじめられ、20代のころには自殺も考えた-。

 恵さんにとって、日ごろ気丈な母の弱々しい告白。聴講席には顔見知りの島の多くのおばちゃんたち。「島全部が被害に遭っていたんだ」。初めて「油症」を知り、静まり返った会場で大泣きした。

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 その日から恵さんは油症に関心を持ち、被害者の集まりにも参加するようになった。だが、母は講演のたびに帽子とマスクで顔を隠す。思わず声を掛けた。「お母さんは被害者だよね。顔を出して訴えないと、人の心を打てないよ」

 地縁、血縁関係の濃い奈留島とは別の地域で育ったから、思いが自然と口に出たのかもしれない。順子さんは09年、思い切って実名を公表。母に続くように恵さんも13年、顔と名前を出し、「油症2世」の経験を伝えるようになった。

 「顔を隠せば『何で隠すのか』と疑念が生まれる。実は、偏見を生み出していたのは私自身だった。ストレートに伝えることが、正しい理解につながる」と順子さんはいま確信する。

 恵さんの友人や職場は、事前の心配をよそに、実名を明かした活動を応援してくれている。

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 数は少ないが、語り始めた奈留島やゆかりの人々。その姿とは対照的に、行政や加害企業は油症に背を向けているかのようだ。

 1日、長崎県庁でカネミ油症発覚50年を節目にした資料展が始まった。会場は県庁舎の片隅で、県民への事前告知はなかった。「患者の皮膚症状の写真もある。何も知らない人に間違った理解をしてほしくない」。担当者は開催の趣旨をこう説明する。見学者はまばらだ。

 米ぬか油を製造したカネミ倉庫は、患者らが11月に催す50年記念式典を欠席する意向。患者側は「犠牲者を追悼してほしい」と出席を求めるが、「声を上げる患者はごく一部。来てほしくないという人もいる」との姿勢だ。毎年、認定患者に医療費などを支払っている同社。それ以上の補償については「社の財務状況を考えると厳しい」。原因企業として加藤大明(ひろあき)社長は、油症発覚50年に特別なメッセージを公表していない。

 カネミ油症の被害確認から半世紀。重苦しい“沈黙”を破ろうともがく被害者の訴えを、行政や企業は、正面から受け止めているのか。かつてない食品公害の教訓を風化させまいという覚悟は、いまだ見えない。

 =おわり

=2018/10/08付 西日本新聞朝刊=

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