島義勇銅像、11月お披露目 県、寄付2000万円目標達成 佐賀城公園内 北海道民も心待ち

西日本新聞

 幕末や明治期に北海道の調査・開拓に尽力した佐賀出身の島義勇(よしたけ)(1822~74)の銅像建立に向け、県がふるさと納税を活用して募っていた寄付金が目標の2千万円を突破した。明治維新150年で脚光を集める「佐賀の七賢人」の一人だが、島だけは佐賀に単独の銅像も記念碑もない。費用面でも11月に佐賀市内に銅像をお披露目できる見通しがたち、県内ばかりでなく、遠く離れた北海道の関係者も心待ちにしている。

 島は佐賀藩10代藩主の鍋島直正の命令で蝦夷地や樺太を調査。1869年に明治新政府から開拓使首席判官に任命された。現在の札幌市の街づくりに取り組み、碁盤の目状の街並みは島の構想を基にしたとされる。札幌市役所や北海道神宮には功績をたたえる銅像があり、地元有志による顕彰会もある。

 だが、出身地である佐賀県内での知名度はいまひとつ。同じ七賢人である江藤新平や大隈重信など4人は単体の銅像や胸像が建立され、副島種臣と大木喬任も記念碑が単独で建てられている。島だけは佐賀市内の屋敷跡に建てられた紹介看板のみだった。

 このため、県は昨年4月、維新150年に向けて島の銅像の建立を決め、寄付を募り始めた。今年3月には佐賀ゆかりの偉人25人の等身大モニュメントが佐賀市内に建てられ、そこに島も含まれたものの、他の2体と並ぶ形。その後も単独の銅像建立を目指して寄付金集めは続き、9月に目標の2千万円をクリアした。

 新たに建立される銅像は、明治政府発足後に開拓使長官に就いた鍋島直正像がある東方向に顔を向けつつ、北海道がある北に足を一歩踏み出す島を表現。富山県のメーカーが銅像の型をつくって鋳造しており、建立予定地である佐賀城公園(佐賀市城内1丁目)の一角で台座の建設が進む。

 地元の赤松校区自治会長の蘭晴男さん(85)は「七賢人は当時の日本を代表する人ばかり。ようやく島に光が当たって誇らしい」と語り、近くで酒店を経営する山田晃史さん(49)は「地元のシンボルになる」と期待する。

 11月11日の銅像の除幕式には島の子孫や北海道関係者も集まる。北海道から参加を予定している「開拓判官島義勇顕彰会」事務局の伊藤勇さん(45)は「札幌の街を作った人の銅像が地元にできてありがたい。両地域の交流が広がり、次世代に先人の取り組みを伝える契機になればいい」と話した。

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■「七賢人」反射材に

 夜間の交通事故を減らそうと、県や県警は、10代佐賀藩主の鍋島直正や大隈重信ら「佐賀の七賢人」のイラストをあしらった反射材をつくり、イベントの参加者などに配っている。

 反射材は縦7センチ、横8センチ。佐賀の七賢人が反射材のたすきを身に付けたイラストを表面に印刷。裏面には西郷隆盛や坂本龍馬ら薩長土肥の偉人が並ぶ。明治維新150年に合わせて3000個が製作された。

 2~4日には、肥前さが幕末維新博覧会の会場となっている幕末維新記念館(佐賀市)の来場者に反射材を配布。嬉野市嬉野町の野村悟子さん(49)は「県で自慢の七賢人が反射材になってうれしい。今、ここで付けたいくらい」と笑顔で話した。

=2018/10/13付 西日本新聞朝刊=

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