タイ軍政下 消えゆく屋台 バンコク 変わる路上の風景 美化へ撤去、店主ら困窮

西日本新聞

 「世界で最もおいしいストリートフードを食べられる都市」。米CNNテレビに2年連続で選出されたタイの首都バンコク。林立するビルの谷間にさまざまな屋台が現れ、食欲を刺激するにおいを漂わせる。だが、軍が実権を握ったこの4年で、活気ある路上の風景は一変した。屋台の街で何が起きているのか。 (バンコク浜田耕治)

 「もう夢も希望もなくなったわ。私たちは汚い存在なんかじゃないのに」

 昼間でも薄暗い高速道路の高架下で、屋台を営むピヤマートさん(35)がぽつりと言った。ソムタム(青パパイアのサラダ)の調理で唐辛子をたたくリズミカルな音が、小さくなった。

 かつては都心部のショッピングモール「MBK」に近い目抜き通りで、繁盛する屋台を切り盛りしていた。プラーラー(魚を塩漬けした発酵調味料)を入れたソムタムやガイヤーン(焼き鳥)など、東北地方の本格的な家庭料理を格安で提供し、モールの店員たちにも人気だった。

 順風だった生活が一変したのは2016年11月。「歩道での営業はもうできません。2日後に立ち退いてください」。バンコク都庁の職員からこう通告された。街の美化のため、が理由だった。「せめて年末まで営業させてほしい」。そう要望しても、都庁は聞く耳を持たなかったという。

 「また一からやり直そう」。同じ境遇の店主ら約100軒で、都庁が用意した代替地の高架下に移った。しかし、繁華街からは遠く売り上げは5分の1に。次々に仲間は屋台を廃業し、今や20軒程度が残るだけだ。「そりゃそうよね。ここは人通りがないんだもの」。ピヤマートさんは自嘲気味に笑った。

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 屋台はタイ社会の縮図だ。「イサーン」と呼ばれる貧しい東北地方の出身者が店主には多い。

 ピヤマートさんも東北部ムクダハン県の出身。大学卒業後、バンコクの旅行会社に勤めたが、故郷に残る母親の介護のために会社を辞めた。母親をみとった後、亡き姉の一人息子を養育するため、再び出稼ぎで始めたのが屋台だった。

 「地方の出身者にとって、屋台は現金収入を得ることができる頼みの綱。わずかな資金で商売を始めることができた」とピヤマートさん。首都と地方の格差が広がる中、低所得層の貴重な収入源となってきた。

 一方、バンコクにとっても必要な存在だった。街を歩くと、屋台と同レベルの安い値段で食事ができるレストランは少ないことが分かる。渋滞で通勤時間が長く、自宅で料理を作る時間がない都民にとっては「街の台所」でもあった。

 もちろん、負の側面はある。生ゴミを残して路上を汚し、歩行者の通行の邪魔になるとの議論は、以前からあった。しかし、状況が一変したのは、14年5月のクーデターで軍事政権が実権を握ってから。昨年初めには、認可地域でも歩道での営業は原則禁止する方針が打ち出された。

 「これまではルールを守っていれば黙認され、(認可地域以外で)営業することもできた。だが軍政になって変わった。一方的に別の仕事を探せ、代替地に移れ、と言われる」。約7千の店主が参加するネットワーク代表のレーワットさん(54)は語る。

 今年9月、屋台や露店の店主たちが首相府前をデモ行進した。「また元の場所で営業させてほしい」と要望する隊列には、ピヤマートさんの姿もあった。軍政の回答はまだない。

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 強引に撤去を進めるのはなぜなのか。屋台や露店の指導を担当する都庁のジラワット事務局長は、穏やかな口調で切り出した。

 「分かってほしいですね。公共の歩道で営業を行うのはダメだということを。首都の膨張に伴って屋台の数はどんどん増え、歩道を汚し、歩行者の邪魔になっています。渋滞を招いているとの苦情もある」

 軍政は違法なものを排除して「社会を整理する」との政策を掲げる。都庁の13年の調査では登録屋台だけで2万1千、未登録を含めると4万を超えると推定されていたが、現在は把握するだけで約8500軒。今のところ撤去が進むのは外国人が訪れる通りが中心だが「歩道からはいずれ排除する」と譲らない。

 気になる発言もあった。「屋台は低所得者がやっているだけじゃない。公共の場で営業させて金を巻き上げている者がいる。悪徳警官を退治できたのがよかった」。軍政が警察の利権つぶしに乗り出した、との臆測もくすぶっている。

 だが、こうした強硬手段には批判の声も強い。都知事は軍政に任命され、選挙で選ばれていない。だから「市民の声が届かない」と言うのは、チュラロンコン大都市デザイン開発センター長のニラモン助教授だ。

 「屋台だけが悪者にされているが、そもそもバンコクの歩道は狭く、デコボコで歩きにくい。都民約千人のアンケートでは、安全面から屋台がある通りを選んで歩く人が多かった」

 都庁の規制は一方的な視点で「バンコクにはまだ屋台が必要」との主張だ。

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 影響はじわりと現れている。「バックパッカーの聖地」として知られるカオサン通りは、昼間の人影がまばらになった。歩道での屋台営業が午後6時以降に制限された8月から、観光客が激減しているという。

 「屋台や露店が昼間は出ていないと分かると、皆帰ってしまう。通りはきれいになったけど、魅力もなくなってしまったわ」。ゲストハウスを営むパッチャニーさん(65)は困り顔だ。

 だが、一筋縄でいかないのがバンコクの屋台。歓楽街に隣接したスクンビット通りでは、ほぼ全域の歩道で屋台が撤去されたが、一部は舞い戻っている。歩道にテーブルを広げるのではなく、空き店舗の軒下のわずかなスペースに棚を設置し、商品を陳列している。「賃借料を払っているし、歩道ではないから違法ではない」という訳だ。

 アクセサリーを売る露店を20年営み、家を買ったというサラムさん(54)は、次の政権に期待するしかないとこぼした。「俺たちは風前のともしびだ。今はじっと我慢して、嵐が過ぎ去るのを待つしかない」

 ●生き残りへの解決策は 福岡、シンガポールは克服

 世界的に見れば、屋台を巡る問題に直面したのはタイが初めてではない。

 ニラモン助教授によると、シンガポールでは60年前に、植民地時代からの遺産である屋台が規制対象になった。感染症の発生源となり、公共の場を汚し、歩行の邪魔になったためだ。

 当初政府は「ネズミを追う猫」のように摘発で屋台を一掃しようとした。だがその手法は成功せず、方針を転換して住宅街に屋台業者向けの「ホーカーセンター」を設置。電気や水道などを整備し、低価格で貸し出した。政府による多額の投資により、今では全土に100カ所以上のセンターがあるという。

 しかし、狭い地域の中で生活が完結するシンガポールとバンコクとは環境が異なる。ニラモン氏は「“屋台村”の開発用地は少なく、シンガポールと同じ方法は困難だろう」とみる。

 一方、日本有数の屋台の街、福岡市は条例を制定して街中で共存する道を選んだ。約110軒の屋台に厳格なルールを適用したのが特徴で、指導員が巡回してチェックし、上下水道などの整備も進めた。都市の規模が違うためルールを守らせるのは簡単ではないが、ニラモン氏は「バンコクのアーリー地区では屋台と都職員が話し合って自らルールを決めた。解決策の一つとなりうる」と話す。

=2018/10/15付 西日本新聞朝刊=

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