山本五十六の遺髪、親友の遺品から見つかる 「非戦」訴えた堀中将との固い絆

西日本新聞

 旧日本海軍連合艦隊司令長官だった山本五十六(1884~1943)の遺髪が、海軍兵学校時代の親友だった旧海軍中将堀悌吉(1883~1959)=大分県杵築市出身=の遺品の中から見つかった。これまでに山本の遺書とされる「述志(じゅっし)」や手紙も確認されており、ともに戦争に反対していたとされる2人の絆を裏付ける資料という。大分県立先哲史料館(大分市)が17日、発表した。

 遺髪は、堀が保管していた山本の遺影の写真と額縁の間に隠され、フランス語で「切った髪の毛」と記載された封筒に入っていた。堀のノートには、山本が戦死した後の1943年5月23日に軍を通じて受け取ったと記され、山本が生前に遺髪を堀に届けるよう軍に依頼した可能性が高い。

 同史料館によると、堀は海軍大学校時代に執筆した論文「戦争善悪論」の中で「戦争は殺戮(さつりく)であり、殺人である」として戦争反対を説き、軍縮推進を唱えた。同級生だった山本に大きな影響を与えたとされる。堀は海軍内で「非戦論者」とされて軍を追われたが、司令長官の山本とは手紙や面会で親交が続いた。

 堀の遺品からは、反対していた戦争の指揮を執ることになった覚悟を山本が記した日米開戦当日(41年12月8日)付の「述志」や、開戦が避けられない状況について「現在の立場は誠に変なもの也、之も命といふものか」と苦悩を記した同年10月11日付の山本の手紙も見つかっている。

 遺品6142点は堀の子孫から同史料館に寄贈された。堀の孫の渡辺壮嘉さん(75)=東京=によると、戦後も山本の遺族は堀の自宅を訪れ、家族ぐるみの親交が続いたという。同史料館の大津祐司館長は「山本五十六にとって堀は唯一本音を話せる親友だったことがよく分かる資料だ」と解説する。

=2018/10/18付 西日本新聞朝刊=

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