フォーク編<398>永井龍雲(1)

西日本新聞

 シンガー・ソングライター、永井龍雲の夕暮れの日課はジョギングだ。自宅から近い湾岸沿いのコースを10キロ近く走る。神奈川県横浜市から1999年に、沖縄に移住してきた。夕日の美しさはいつ見ても新鮮な気持ちにさせる。

 「どこか、島に住みたい」

 こういった願望がはっきりした輪郭を持ったのは一つには結婚して子どもを持ったことだった。沖縄にはそれまでライブで行ったことがあった。

 「自然の豊かなところで育てたい」

 その思いが合致した場所だったが、沖縄の音楽家、喜納昌吉の歌「花-すべての人の心に花を」(80年)にも心を動かされた。

 「ゆったりしたいい曲で、沖縄に住んで体感したいと思うようになりました」

 移住する直前、沖縄尚学高校が春の選抜高校野球で優勝した。沖縄勢としては春夏通じて、初の快挙だった。

 「中学時代は野球部でしたので。この優勝で移住への弾みがつきました」

 さらに言えば、母の話などから南への志向が胸の中で芽生え、育っていたのかもしれない。母は鹿児島県の奄美大島出身だった。「母さんの唄(うた)」は母への思慕を込めたものだ。

 〈いつでも どんな時にも 涙は見せずに 皺(しわ)ふえた顔に 笑いさえ浮かべて あなたは何を心の支えにしてたの…〉

   ×    ×

 移住には様々(さまざま)な動機が絡まっているが、作曲家、作詞家という表現者の文脈で考えれば惰性、停滞からの脱却ともいえる。転地した先の風土を磁場にしての、新しい作品への挑戦だ。

 「沖縄に移って内省的になったというか、ゆっくりと物事を大きく考えるようになりました」

 移住した当初は地元のライブハウスで歌ったりしていたが、それもやめた。移住は逃避でもなく、消耗(しょうもう)でもなく、なによりも新しい世界を生み出すためだった。

 沖縄在住の集大成としてアルバム「沖縄物語」をリリースしたのは2006年である。喜納の「花」も収録されている。ジャケット写真には沖縄の伝統的な衣装を着た自分の子どもたちが映り込んでいる。歌詞カードに短い言葉を添えている。

 「この1枚の写真が僕にとって何よりの宝です」

 龍雲にとってもう一つの宝は言うまでもなく、自らの歌である。デビュー40周年、還暦記念アルバムとして昨年、「オイビト」を発売した。「オイビト」の意味について龍雲はこう説明している。

 「夢を追い求めるうちにいつしか年老いて、それでも夢を追い続ける人をオイビトと定義する」

 1957年、福岡県豊津町(現みやこ町)生まれ。オイビトの歩みを追ってみたい。 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2018/10/29付 西日本新聞夕刊=

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