変化して守る、定番カップ麺 「焼豚ラーメン」40年の歩みと“魂”

西日本新聞

サンポー食品の工場で次々に生産される「焼豚ラーメン」=佐賀県基山町 拡大

サンポー食品の工場で次々に生産される「焼豚ラーメン」=佐賀県基山町

「変えないために、少しずつ変わってきた」と話す工場長の古川揚一さん 1996年製のラーメンのパッケージ(上)と現在のパッケージ。96年当時はプラスチック製のふただった

 カップ麺「サンポー焼豚ラーメン」。九州には、この響きを耳にするだけで空腹を覚える人がいるかもしれない。この人気商品をサンポー食品(佐賀県基山町)が発売して今年、40年を迎えた。その歩みは決して平たんな道のりではなかったという。特命取材班は、九州自動車道から見える大きな看板が目印の同社を訪れ、定番であり続ける理由を探った。

 工場長の古川揚一さん(44)が思いがけないものを見せてくれた。ラベルには「1996年製造」。もちろん食べられないが“22年物”の、おそらく現存する最古の「焼豚ラーメン」である。現在市販されている品と比べると、幾つも違いがある。実は20年ほどの間にマイナーチェンジを重ねていた。

 まず「ふた」の形状。発売時から続いていたプラスチック製のふたは2000年、熱で付けるシール式になった。密封することで安全性をより高めるためだ。商品名も「元祖焼豚ラーメン」から、ふた変更のタイミングで「元祖」を取った。社内で「そもそも、本当に『元祖』なのか」と議論が起こったという。

 厳しい局面も乗り越えた。国内初のBSE(牛海綿状脳症)が確認された01年、国の指導でスープなどに用いられる「牛エキス」の使用自粛が拡大。同社も牛エキスを除きながら味を維持する工夫を迫られた。11年の東日本大震災では、主要な具の一つだったナルトを製造していた取引先の福島の工場が被災。取引のめどが立たず、泣く泣くコーンに差し替えた。

 環境の変化に応じながら、味の根幹を守ってきた焼豚ラーメン。「変えないために、少しずつ変わってきた」と古川さんは言う。

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 発売当時と異なり、今ではとんこつ味の即席麺は数多い。それでもファンの間で聞かれるのが「サンポーは違う。ちゃんと『臭い』」。その理由は-。

 「地元の人にしか理解できない『いい臭さ』を追求してきた」と古川さん。肝は豚から採れるポークエキス。苦みや臭みなどの特徴を持つ十数種類を独自に配合した粉末スープが、九州の“魂”を注入している。

 即席麺メーカーなどでつくる「日本即席食品工業協会」(東京)によると、日本農林規格(JAS)法に基づくJASマークが付いたカップ麺は17年度に1311銘柄が販売された。「新商品は年間千種類以上」とも言われる業界で、狭いスーパーやコンビニの棚に残れるのは一握りだけだ。

 発売直後をピークに売れ行きが落ち込むカップ麺は数知れず。そんな業界で40年間生き残ってきた焼豚ラーメンはサンポー食品の「絶対的エース」といえる。

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 サンポー食品は大正時代に米卸業として創業。終戦後の1949年に製粉製麺所として設立された。

 世界初のインスタントラーメンとして知られる日清食品の「チキンラーメン」が発売された翌年の59年、即席棒状ラーメン「三宝(みたから)ラーメン」の製造を開始。読み仮名を振っていなかったため、客からは「みたから」ではなく「さんぽうラーメン」「さんぽー」と呼ばれるようになり、大胆にも社名を「サンポー食品」に変更した経緯がある。

 業界の競争が激化し、売り上げ低迷の中、原料メーカーと知恵を絞って改良し、78年に発売したのが「元祖焼豚ラーメン」だった。

 祖父の代から続く3代目、大石忠徳社長(62)は25歳で入社した。「これ(焼豚ラーメン)とともに会社も、私も成長した」と思い入れを語る。

 昨年7月には東京オフィスを開設。9割が九州で消費される焼豚ラーメンだが、関東でも常時取り扱う店が徐々に増えつつある。大石社長は「九州の味を全国に届けたい」と、さらなる展開に意欲を示した。

=2018/10/31付 西日本新聞夕刊=

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