「岡安家の犬」に会う 編集委員 上別府 保慶

西日本新聞

 藤沢周平さんが60代半ばに書いた時代小説に「岡安家の犬」という短編がある。

 海坂藩の若い武士、岡安甚之丞(じんのじょう)はアカという赤犬を飼い家族でかわいがっていた。ある時、岡安は道場仲間の悪友たちに「犬鍋をやるから喰(く)いにこい」と呼ばれ、喜んで出掛ける。仲間と野犬を捕らえて栄養を補うのはよくやることだった。ところが鍋の中がアカと知り、岡安は怒る。

 アカを捕らえたのは野地金之助という、少々軽率なところがある友だった。野地は岡安の美しい妹と結婚の約束があったが、怒りが収まらぬ岡安から絶交とともに破談を言い渡され、青ざめる-。

 この短編が1993年7月の週刊新潮に載った時、江戸時代の日本人が犬を食べることなどあったのか、と疑問に感じた読者もいたと聞いた。なるほど教科書的に言えば、675年、仏教の影響で天武天皇が殺生禁断の詔を出して「牛、馬、犬、猿、鶏」の肉食を禁じてから、日本人はあまり肉食をしなくなったようにいわれてきた。

 しかし少なくとも犬に関しては、徹底とはいかなかったようで、室町時代の古文書には、武士が「犬追物(いぬおうもの)」という馬上から犬を射る鍛錬の後、その肉を食べた記録がある。戦国時代の宣教師ルイス・フロイスも日本人が「薬として犬を食べる」と書いた。

 さらに近年は考古学調査でも裏付けられている。岡山城(岡山市)の二の丸跡が発掘された際、江戸時代のごみ捨て場からイノシシ、ブタ、ウシ、ノウサギ、タヌキなどとともに犬の骨が出土し、骨に解体、つまり料理するために付いた刃物の痕があった。

 松井章著「環境考古学への招待」(岩波新書)によると、近くには家老クラスの屋敷が並んでいたのが分かっており、犬を食べる習慣は上級武士にも続いていたわけだ。同様の例は他藩でもある。

 今は亡き福岡市出身の歴史学者、塚本学さんは、徳川綱吉の生類憐(しょうるいあわれ)みの令は「見苦しい犬食いをやめさせる」のが目的の一つだったと指摘したが、藤沢さんが書いたように、明治時代に洋食文化が入るまで、なかなかやまなかったようだ。

 以下は余談。

 福岡市の福岡アジア美術館で開かれている「掘り出された古(いにしえ)の博多展」で、手のひらに乗る小さな犬の像を見た。室町か戦国期に博多商人が愛玩した物らしく、昔の生活をしのべる出土品として国の重文に選ばれた。この稿を書く合間に偶然出合い、つぶらな瞳が岡安家のアカに思え、なんだか不思議な気分を味わった。同展は11日まで。

=2018/11/08付 西日本新聞朝刊=

PR

アクセスランキング

PR

注目のテーマ