カネミ油症発覚50年 「食べて苦しんだ人思うと、自分は耐えなければ」 自責の念、今も

西日本新聞

ビンや缶に入ったカネミ倉庫のライスオイル=1968年10月 拡大

ビンや缶に入ったカネミ倉庫のライスオイル=1968年10月

静かで穏やかな風景が広がる奈留島。50年前に島に入ってきたカネミの油は今も島民を苦しめる

 発覚から50年を迎えた国内最大の食品公害「カネミ油症」。かつて五島市奈留島で小売店を営んでいた、高齢の石田多江さん=仮名=は今秋、カネミ倉庫(北九州市)製の米ぬか油を販売した自責の念を記者に打ち明けた。「毒入り油を食べて苦しんだ人のことを思うと、自分の苦しみは耐えなければいけません」

 1968年の春ごろだった。知人から「安くていい油が入った。みんな売っているよ」と薦められ、一斗缶を4缶仕入れた。移動スーパーで島内を行き来し、量り売りを行った。油はすぐに完売した。

 ほどなくして油を使った料理を食べた人が、体の吹き出物や手足のしびれなどの健康被害を訴え始めた。秋になり、油症事件が新聞報道などで伝えられた。「病気になったぞ。どうしてくれるんだ」「責任を取れ」と、店先で島民から怒鳴られる日々が続いた。「こんちきしょうが」と傘でたたかれた。

 汚染された油とは全く知るよしもなかった石田さんだが、責任を感じて「許してください。知らなかったんです」と気の済むまでたたかせた。

 カネミ倉庫製の米ぬか油は、68年2月から半年間で約300缶が五島の各地に出荷され、奈留島では12店で売られたとされる。その油が地域をむしばんだ。油症の根本的な治療法は、まだ見つかっていない。

 石田さんも体に発疹ができ、内臓を悪くした。今もさまざまな疾患に悩む。それでも、油症患者の認定審査の判断材料になる検診は受けずに生きてきた。

 最近も奈留島の被害者から「知らずに売った人も被害者。検診を受けましょう」と声を掛けられた。認定患者になれば、医療費などの公的支援の対象者になることは知っているが、言葉だけをありがたく受け止めた。

 「油症だとは思うが、売った責任がある私が、検診を受けることはできません。思い出したくない話だったけど、気持ちを聞いてくれてありがとう」。この半世紀で、マスコミの取材に応じたのは初めて。あふれ出る涙を両手で押さえ、石田さんは言葉を絞り出した。

=2018/11/19付 西日本新聞朝刊=