「ゲド戦記」寺嶋民哉がサウンドプロデュース 二胡奏者・野沢香苗の初ボーカルアルバム 「歌声と音色がシンクロ」

西日本新聞

福岡市であったコンサートで新譜収録曲などを演奏する二胡奏者・野沢香苗。ステージには寺嶋民哉(右)もキーボード奏者として登場、野沢の演奏をサポートした=11月中旬(撮影・木村貴之) 拡大

福岡市であったコンサートで新譜収録曲などを演奏する二胡奏者・野沢香苗。ステージには寺嶋民哉(右)もキーボード奏者として登場、野沢の演奏をサポートした=11月中旬(撮影・木村貴之)

福岡市であったコンサート終了後、野沢香苗の初のボーカルアルバム「空の記憶」について語る寺嶋民哉(左)と野沢=11月中旬 寺嶋民哉をサウンドプロデューサーに迎え、二胡奏者・野沢香苗がリリースする初のボーカルアルバム「空の記憶」(2500円) コンサート終了後、リラックスした表情をファンに見せる寺嶋民哉(右)と野沢香苗=11月中旬、福岡市(撮影・木村貴之)

 スタジオジブリ作品「ゲド戦記」(2006年)の音楽を担当した熊本県出身の作曲家、寺嶋民哉(60)がサウンドプロデューサーを務めた二胡奏者、野沢香苗のアルバム「空の記憶」が12月1日にリリースされる。2人のタッグは3作目で、野沢にとっては初のボーカルアルバム。映画音楽の第一線で活躍する寺嶋と、中国伝統の弦楽器による新たな表現を目指す野沢にとって、特別な作品になりそうだ。

 寺嶋は南小国町生まれ。熊本市の中高時代はトランペットに慣れ親しんだが、高卒後はキーボードに転向して地元のロックバンドに加入、一時は浜田省吾のバック演奏も務めた。バンドの傍ら本格的な作曲活動も始め、CM音楽などを積極的に手掛けた。1991年に単身で上京、ゲームや映画の音楽で好評を博す。特にシンセサイザーを駆使したオーケストレーション(オーケストラに通じる作・編曲法)が高く評価され、映画「半落ち」(2004年)では日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞した。

 こだわり続けるのは映像が浮かぶ音楽だ。「自然や街並み。色でもいい。映像が浮かんだら作曲の5割は出来上がる」。幼少期に原体験がある。5歳のころ、南小国の自宅で1枚のレコードをすり切れるほど聴いた。米映画「ベン・ハー」(1959年)のメインテーマのシングル盤。「映画を見たこともないのに広大な風景が思い浮かび、楽しくてたまらなかった」

 野沢との出会いは10年前。アニメ音楽の制作で初めて顔を合わせた。「二胡を演奏してもらうと、音色は美しいのに音の芯が太く、力強い。しかも西洋の要素もある。表情豊かな演奏力と作曲能力に驚いた」

 2014年、プロ・アマやジャンルを問わず国内外のクリエーターと作品を生み出すプロジェクト「PLANET TERRA」を設立。野沢の5枚目アルバム「PLANET」がプロジェクト第1弾となった。豊かな自然に恵まれた架空の惑星を女性が旅する物語を、重厚でスケール感のある演奏で描くコンセプトアルバム。17年には続編「BRAVE」を発表し、その惑星で遠い昔にあった戦乱の時代を旅人が振り返る物語を数々の曲でつづった。

 このシリーズは3部作。完結編の制作準備に入る予定だったが、野沢の強い希望で「空の記憶」が先に制作された。「もともと歌手志望だった私が二胡と出合って20年。女性の歌声のような美しい音色に併せ、言葉の力がある歌で表現したかった」と野沢は打ち明ける。本作はボーカル入り7、インストゥルメンタル3の計10曲を収録。澄んだ空に響き、野山に染み入るような二胡の音色に、柔らかく包み込まれるような歌声が「絶妙にシンクロしている」(寺嶋)。

 11月中旬、福岡市であったコンサート。ピアノに宮崎県出身の古垣未来(まき)、キーボードに寺嶋を従え、野沢は「風の旅人」「蛍」など新譜収録曲も含めて演奏。凜とした表情で、太極拳の達人のように優雅に舞いながら二胡弾き語りを披露し、ファンを魅了した。

郷土愛で古里に貢献、親善大使も

 寺嶋の活動拠点は、長野県軽井沢町のスタジオ兼自宅と東京の事務所。上京して30年近くになるが、「古里を離れても郷土愛は薄れず、むしろ強まるばかり」と寺嶋は言う。

 2010年には、熊本市の市制施行120周年記念事業「わくわく都市くまもと」のテーマソング「ときめいてくまもと」を作曲(作詞は公募)。CD製作で楽曲を歌ったのは、現在はシンガー・ソングライターとして活躍し、当時高校生だった立花綾香=同県山鹿市出身=だった。音楽を通した地域貢献が地元で高く評価され、寺嶋は俳優の宮崎美子や高良健吾らと並び、熊本市の「わくわく親善大使」に任命されている。

 プロデビュー後の立花など、熊本を含む九州出身ミュージシャンらを編曲などでサポートしていた寺嶋。昨年末は、福岡を拠点に活動し、今春メジャーデビューした3人組バンド「ミサンガ」の新曲「さくらみち」の編曲も担当、レコーディングにも立ち合った。

 寺嶋が上京するまで約2年間、拠点としていたのは、熊本市郊外の牧場跡に残っていた小屋。廃屋同然の建物を借りて機材を持ち込み、音楽制作に明け暮れた。「小屋の半径500メートル圏内に民家はなく、大音量でCM音楽などを作った日々を忘れない。あの頃を含む熊本でのアマチュア時代は僕の原点。それはこれからも変わらない」


=2018/11/22 西日本新聞=

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