【日日是好日】車掌さんに「慚愧」教わる 羅漢寺住職 太田英華

西日本新聞

 月に一度、博多の明光寺僧堂へ向かうため、日豊線に乗ります。今では「ソニック」と呼ばれるようになった特急「にちりん」は、小さい頃、父に連れられ九大に入院していた母のお見舞いに行くためによく乗っていました。

 今でも日豊線に乗ると思い出す、大切な思い出があります。4歳くらいの頃、その日は私が大好きだった6歳上の従妹も一緒に「にちりん」に乗って博多に向かいました。

 当時、「にちりん」は連結部分に水飲み場があり、紙コップに水を入れて飲めるようになっておりました。帰りの列車で、水を飲むことが面白くて、小学生の従妹と一緒に何度も席を立って水を飲みに行きました。気が付くとその水飲み場が水浸しになっていました。

 幼いながらも自分たちの足元を見て「ハッと」した瞬間、そこを通りかかった車掌さんが、「あんたたちはこんなことをして、自分の家やったらどうするね」

と、私たちに言われました。

 従妹はすぐに「すみませんでした。ごめんなさい」と、私も「ごめんなさい」と車掌さんを見上げて謝りました。その後は静かに席に座ったものの、はしゃぎすぎて父以外の大人の人に初めて叱られたことを恥ずかしく思いました。

 それから中津駅に着き、下車する際に自分たちが水浸しにした所がきれいになっているのを見ました。そして、もっと恥ずかしい気持ちになったことを覚えています。「自分の家やったらどうするね…」。車掌さんの言葉で、あの場所は皆が使う場所だったと後から反省しました。

 仏教の言葉で「人間とは?」を考える際に「慙(ざん)は人に羞(は)ず、愧(き)は天に羞ず。これを慙愧と名づく。無慙愧は名づけて人とせず」というのがあります。「慙」は自らの見苦しさや過ちを反省して自分の心で罪を恥じること、「愧」は他人に対して罪を告白して、犯したことを恥じる心です。

 あのとき、車掌さんに注意されなければ、はしゃぎすぎてその場所の秩序を乱し、迷惑をかけてしまったことも気づかず、恥ずかしい自分で過ぎてしまっていたことでしょう。子供だからこそ、そのときに感じなければいけないことであったと、「にちりん」での私の思い出は、大変ありがたい大切な出来事となりました。

 人間関係で大切なことは、「慙愧」にあると思います。人間だからこそ忘れてはいけないことであると思います。羅漢寺の境内ではしゃぐ子や、「ヤッホー」と叫んでいる子供たちが居たら私は注意します。「ここは静かにしようね。お参りしている人がいるからね」

 子供たちはきょとんとしますが、きっとお寺で言われた記憶は残るはず。「にちりん」でのありがたい思い出に支えられている私は、人々もいつか私の小言を思い出す日が来ると信じ、今日も掃除をしながら「すみません…」と、老若男女に物申しております。合掌。

【略歴】1967年、羅漢寺27世住職の娘として生まれる。高校卒業後、大学進学のため上京。20代半ばから40歳で出家するまでフラメンコダンサーとして活動。出家後、愛知県の尼僧専門修行道場で約5年間、僧堂修行し、2013年3月に帰山。現在、羅漢寺28世住職として寺を守る。

=2018/11/25付 西日本新聞朝刊=

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