大正-昭和初期の庭園 庭師松尾仙六の「作品」たどるツアー 高い独創性、造園術を再評価

西日本新聞 筑後版

「河原氏庭園」は巨大な岩山を背景に池が広がっていた 拡大

「河原氏庭園」は巨大な岩山を背景に池が広がっていた

「さとう別荘」。建物の間を太鼓橋がつなぐ 修復作業が続く「平田氏庭園」。中央の松は造営当時よりもかなり成長しているという 「河原氏庭園」の岩山に登り、池を見下ろす。住宅地の中とは思えない眺め 「赤坂氏庭園」の石造物。登った先にかつて遺骨が納められていたという

 小郡市指定有形文化財の平田家住宅内にある「平田氏庭園」(同市小郡)が国登録記念物(名勝地)に答申されて11月で1周年を機に、平田氏庭園をはじめ市内4カ所の庭園をたどるツアー「小郡まちなかの庭園歩き」が開かれた。全庭園は庭師の松尾仙六(1889~1961)が手掛けたもので、独創性の高い造園術を再評価する試みだ。平田家住宅の管理運営を担う認定NPO法人文化財保存工学研究室が企画し、約20人が参加した。

 仙六は佐賀県鳥栖市を拠点に活動し、大正から昭和初期にかけて、鳥栖市や小郡市の名士の邸宅を中心に造園を手掛けた。平田氏庭園の調査をきっかけに、仙六の仕事について調べた行橋市歴史資料館の片岡宏二館長(元小郡市文化財課長)は「資産家たちの間に交流があって、口コミのような形で次々と贅(ぜい)を尽くした庭を手がけることになったのでは」と推察する。

 仙六の子孫の証言などを集めたこれまでの調査で、鳥栖市と小郡市に14カ所の庭園があったと分かった。その中には久光製薬の創業一族中冨家の庭園もあったが、現存していない。小郡市内の9カ所のうち7カ所はほぼ現存しており、今回一般公開されていない個人宅も含めたツアーが初めて企画された。

 仙六の庭園には特徴がある。一つは、巨岩を採石地でいったん分割し、庭園に運んだ後パズルのように組み上げる構造だ。

 「こんな庭があったとは…」。参加者から感嘆の声が漏れた。「河原氏庭園」は庭の奥に巨大な岩山が組まれ、その前に池が広がる。周りをぐるりと歩ける回遊式の庭園だ。昭和初期に造営されたとみられ、施工主は明治時代に渡米して牧場経営を学んだ牧場主だった。池は湧水で満たされている。

 石組みの特徴は、河原氏の親戚に当たる「赤坂氏庭園」にもみられる。高さ約7メートルの石造物は、かつて一族の納骨堂として建てられたという。現在遺骨は移され、頂部に載っていたとがった岩も安全のため下ろされたが、堂々たる存在感だ。

 もう一つの特徴は、客人をもてなす部屋の縁側に靴脱ぎ石があり、そこからの眺めが最も美しいよう、計算されて木や石が配置されていることだ。料亭「さとう別荘」の庭園は大正時代の造営。奥に滝の流れる岩、中間に太鼓橋、手前に池があり、平田氏庭園の配置とも似通っている。

 「この庭は97年前の『作品』です」。ツアーにも同行したさとう別荘のおかみ有岡篤子さん(62)が語る。有岡さんは、料亭の建物や庭について先代から伝え聞いてきたが、地域にある他の庭園についても学びたいと参加した。先代はツツジを庭の一角に植えたが、当時の庭師が「ここは計算して造られていますから」と抜いてしまったという。「父は『自分の庭でも好きにできんとじゃね』とこぼしていました」と笑う。

 ツアーで回った4カ所は、徒歩圏に収まる範囲内に点在していた。限られた地域の中で、折々の花鳥風月をめでる文化がこれほど広がっていたのだと、当時の栄華に驚かされる。「戦争や戦後の農地改革で、資産家が豪華な庭園を造れなくなり、仙六が新たな庭園を造ることもなくなった」と片岡さん。現在平田氏庭園では、少しずつ修復が進められている。残された庭園を大切にしながら、往時に思いをはせてみたい。

=2018/12/08付 西日本新聞朝刊=

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