1891(明治24)年、ロシアのニコライ皇太子を乗せた艦隊が長崎に入港した…

西日本新聞

 1891(明治24)年、ロシアのニコライ皇太子を乗せた艦隊が長崎に入港した。公式行事の合間に若きプリンスはお忍びで町へ。かんざしを買い、腕には龍の入れ墨をして楽しんだ

▼一行は鹿児島に寄り京都へ入る。日帰りで琵琶湖見物に出掛けた帰途、滋賀県大津市で事件に遭う。警備中の警官がサーベルで皇太子を襲撃。頭の骨に達する傷を負わせてしまう

▼以後の日程を中止して帰国したロシア側に日本中が震え上がった。戦争になり滅ぼされるのではないか。巨額の賠償金は避けられない…。けれどニコライは、東京から駆けつけた明治天皇など国を挙げた心からの回復祈願を知り、離日に名残惜しささえ感じたという

▼こちらも国民挙げての悲願だが、やはり一筋縄ではいかなさそうだ。北方領土返還で日ロの駆け引きが続く。かの国の指導部は硬軟の弁を使い分ける老練な外交術。真意を見誤ると日本の独り相撲になりかねない

▼再びニコライ。皇帝に即位後も受難が続いた。1917年の革命で帝位を追われ、翌年には家族もろとも銃殺されてしまう。ちょうど100年前のことだ

▼国民に皇帝批判が高まる一因に日露戦争での敗北があった。長く行方不明だった遺骨の鑑定には大津事件の際に血をぬぐった布が使われた。先日決定した万博を大阪と争ったエカテリンブルクこそ一家が処刑された地。よくよく日本と縁の深い、悲劇の皇帝だった。

=2018/12/17付 西日本新聞朝刊=

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