無私無欲の頭取だった メディアビジネス局次長 一瀬 文秀

西日本新聞

 大局観に優れ、難局に陥っても大胆かつ絶妙な一手を打つ。それでいておおらかだ。大きな目と福耳で笑いかけられると、こちらも自然と笑顔になった。ほれぼれする大人(たいじん)だったと思う。11月15日、87歳で死去した福岡銀行の元頭取、佃亮二さんである。

 旧満州に生まれた。南満州鉄道で駅長を務めた父に連れられ大陸を転々とした。敗戦でソ連兵の強奪に遭い、日本に引き揚げる際は栄養失調に陥るほどの苦難を経験した。

 父の実家の農家があった現在の熊本県玉名市に移り住み、玉名高から東京大法学部に進む。「パブリック(公的)な仕事がしたい」と日銀へ。花形の旧営業局に身を置き、営業局長、理事を務めたエリートだが、当時を武勇伝のように語ることはなかった。

 新潟支店長の時、部下だった横田滋さんの娘めぐみさんが行方不明になった。「北朝鮮に拉致されたなんて思いもしなかった。転勤を引き延ばすぐらいしか力になれなかった」と、後悔を口にした。

 バブル経済が崩壊した1991年、福銀の頭取に就き、9年にわたって務めた。問題があっても金融機関はつぶさない「護送船団方式」と呼ばれた金融行政からの転換期。前例のない判断を迫られた。

 96年3月期、福銀は史上初めて赤字を計上する。不良債権を一括処理したためだ。含み益のある有価証券を売れば黒字化できたが、「先輩諸氏が営々と築き上げた資産には手を付けない」と益出ししなかった。無私無欲で、体面など気にする人ではなかった。

 不良債権といち早く決別した福銀はV字回復し、現在のふくおかフィナンシャルグループ(FFG)に至る。

 日銀出身者が長く占めてきた福銀の頭取を、行内から選ぶ人事にも道筋を付けた。現場を知る者がトップに立つ時代だと、古巣の顔色に惑わされなかった。50年ぶりの生え抜き頭取となった現FFG会長の谷正明さんは「でも、ああせい、こうせいの指示は一切なかった」と明かす。

 98年、玉名市に開学した九州看護福祉大を運営する学校法人の理事長に、地元から請われて就任した。無報酬で務めたのも佃さんらしかった。

 15年前に妻博子さんに先立たれ、1人暮らしになった。周りには「そろそろ子どもたちの世話になるかな」と、その気はないのに言っていた。

 「そがん言わんと、みんな心配すっどが」

 宴席では豪快に飲んだ。人の批判をせず、分け隔てなく接するので慕われた。

 18日、福銀が主催し、福岡市でお別れの会が開かれる。どうぞ、安らかに。

=2018/12/18付 西日本新聞朝刊=

PR

社説・コラム アクセスランキング

PR

注目のテーマ