阿部定事件と新聞 編集委員 上別府 保慶

西日本新聞

 NHKの人気番組「あさイチ」に、俳優の阿部サダヲさんがゲスト出演した10月の朝のこと。芸名の話になり、阿部さんは「阿部定(あべさだ)さんって知ってます? それをもじった名前です」と説明した。

 アナウンサーの近江友里恵さんは「えっ?」と分からぬ様子で「何らかの出来事が?」と聞く。阿部さんは朝の番組ということで配慮してか「愛情の深い人。愛情がいっぱい詰まった方です」と話をやんわり打ち切った。

 戦前生まれの方や1976年の映画「愛のコリーダ」(大島渚監督)を知る世代には説明は無用だろう。阿部定とは、36(昭和11)年5月に愛人の男性を殺害してその局部を切り取ったことで世間に知れ渡った人物だ。ちなみに「局部」という言い方は、表現に困った新聞記者がこの時から使い始めた。

 事件は、当時の新聞がこれでもかと大見出しを掲げて続報を書きまくり、3カ月前に陸軍青年将校らが起こしたクーデター未遂、二・二六事件への関心を吹き飛ばした。当時、東京の路面電車には女性車掌が乗っていた。阿部定事件の後、車掌が改札のはさみを手に「切らせていただきます」と車内を回ると、乗客がどっと笑ったものだという。

 二・二六事件は、戒厳令が敷かれて、しばらくは「帝都不祥事件」などと呼ばれ、新聞は軍部が認めたもの以外は報道を制限された。そこへ起きた阿部定事件は軍部にとって渡りに船で、作家の半藤一利さんは結果として報道操作に利用されたと指摘する。

 「これは戒厳令とは関係のない事件だから、新聞は書くわ書くわ、ものすごい勢いで書いたんですね。阿部定事件が昭和史を飾るというか、昭和の一大エロ事件として映画になったり芝居になったりするくらいに今日でも有名なのは、センセーショナルに書きまくった当時の新聞のせいでもあるんですね」(文春文庫「そして、メディアは日本を戦争に導いた」)

 世間の目が阿部定事件に集まっていた7月12日、二・二六首謀者の青年将校らは処刑された。刑場隣の練兵場で演習が行われ、銃殺の音が漏れぬようにされたという。

 何も知らず反乱に加わった末端兵士は事件の内幕を伏せるため、阿部定事件があった5月に旧満州へ送られた。出発前日、劇場「ムーランルージュ新宿座」を訪れた兵士数人が席で起立し、少女スター明日待子(あしたまつこ)さんに向かって万歳を叫び「自分たちは…」と言いだすや、憲兵が走り寄りビンタを張って連れ去った。

 無論、この話は新聞に1行も載らなかった。

=2018/12/20付 西日本新聞朝刊=

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