【日日是好日】思い出を糧に人生は前へ 羅漢寺住職 太田英華

西日本新聞

 にぎやかだった紅葉シーズンが過ぎると、静かで穏やかな時間がやってきました。山はすっかり冬枯れの景色となり、気が付けば師走も終盤です。

 「人生は、それを振り向くことによってのみ、常に今日を美しくする」。これは小説家福永武彦氏の「死の島」の中の一節で、作品自体を読んだことはないのですが、ある紙面に文章が掲載されており、気に入ったので今年最後の掲示板の言葉にしました。

 先日、関東で生活している、二つ上の幼なじみが訪ねて来てくれました。彼とゆっくり会うのは10年ぶりです。当時、彼は好きな音楽の業界で才能を発揮し、レコード会社でディレクターをしておりました。

 彼と東京で会った最後の日は、私が出家を決心し、初めて身内以外の近しい人に打ち明けた日でした。その日は、俳優となった中学以来の共通の友人が、中野の小さな劇場で芝居をするというので、一緒に見に行きました。

 その友人もまた、無名ながら夢を実現した一人です。彼は福岡で証券会社の営業マンでしたが、会社の倒産を機に30代で俳優に転身し上京したのでした。芝居が終わった後、劇場近くの居酒屋に三人で入りました。そこで出家の決心を告白したのですが、二人が意外にも寂しそうな顔をしたので私は驚きました。

 それから私は僧となり、修行道場から帰山したある日、幼なじみの彼からメールが届きました。彼はその後会社を辞め、キャンピングカーを改造し牽引(けんいん)式カフェを造り、念願のスローライフをしているとのことでした。俳優の彼とはその後、会ってはいませんが、うわさでは彼なりの俳優人生を歩んでいるようで安心しました。

 かつて一緒に遊んだ本堂の中で、幼なじみとそれぞれの今を10年ぶりに語り合いました。最後に彼はこう言いました。「自分の転機は、10年前に中野の居酒屋で会ったあの日なんだよ」と。今では物への執着がなく、身軽になって楽だと彼は言います。その笑顔は以前より自然体で、気が付けば頭は白髪交じりでした。

 「人生は、それを振り向くことによってのみ、常に今日を美しくする」。冒頭の一文の「それ」とは、おのおのの大切な思い出であり、自分の生きた証である。その存在があるからこそ、今を生き、今日を美しくする。

 大切なものは、時に失敗であったり反省や後悔であったりします。私たちの東京ライフは、それぞれの踏ん張りどころでした。自分自身を精いっぱい試していたんだなあ…。あの時代を一緒に生きた懐かしい友。その自然体な今の姿に、改めて元気をもらいました。

 冒頭の文には続きがあります。「思い出すことによって、人生は再び三たび生きられる」。あの当時の若さはないけれど、あの時の気概はまだまだ健在だ。忘れていた「やる気」がよみがえってきました。

【略歴】1967年、羅漢寺27世住職の娘として生まれる。高校卒業後、大学進学のため上京。20代半ばから40歳で出家するまでフラメンコダンサーとして活動。出家後、愛知県の尼僧専門修行道場で約5年間、僧堂修行し、2013年3月に帰山。現在、羅漢寺28世住職として寺を守る。

=2018/12/24付 西日本新聞朝刊=

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