早世の画家戦争の影 少年特攻兵描いた大貝彌太郎 教え子が諫早で遺作展 時代経るごと色暗く

西日本新聞

 戦時中に現在の長崎県諫早市にあった長崎地方航空機乗員養成所の美術教諭で、少年特攻兵を描いた「飛行兵立像」で知られる洋画家大貝彌太郎(やたろう)(1908~46)の遺作展が諫早市美術・歴史館で開かれている。故郷の福岡県水巻町ではこれまで4度開催されたが、長崎県内では初めて。戦前から描きためた100点の自画像や風景画には時代を経るごとに戦争の影が濃くなり、38歳で早世した画家の苦悩も伝わる。

 大貝は東京美術学校(現東京芸大)で洋画家の藤島武二に師事した後、1935年に長崎県の旧制五島中に美術教諭として着任。開戦直前の41年に旧制諫早中に転任した。今回の遺作展は向井安雄さん(92)=諫早市=ら当時の教え子たちが「諫早で忘れられた大貝先生の画業を紹介したい」と美術館に働き掛け、水巻町や遺族の協力を得て実現した。

 綿密なデッサンによる写実的な風景画を得意としたという。生徒たちと一緒によく写生に出掛けていたという五島時代の作品には明るい水彩画が多い。諫早時代になると画材が手に入りにくくなったこともあって色彩は暗く、室内や同僚を描いた作品が増えていく。

 航空機乗員養成所は戦争で不足した航空機乗員を養成しようと42年、諫早市小野島町の干拓地に設置された。現在の小学校に当たる国民学校初等科を卒業した少年たちが入学し、陸海軍の準軍人として教育を受けた。大貝は44年に諫早中から養成所に転任している。

 「飛行兵立像」は特攻服を着た10代の教え子を描いた作品だ。妻の温子(はるこ)さん=2013年死去=が水巻町の自宅押し入れに保管していたものを地元の画家佐藤幸乃さん(79)が見つけ、後に戦没画学生の遺作を収蔵する美術館「無言館」(長野県上田市)に収められた。大貝は、どんな思いで年若い教え子たちを描いたのか-。表面の絵の具が剥がれ、ぼろぼろになった状態だが「見る者に迫る迫力があり、平和な時代に大貝が生きていたらどんなすごい絵を描いただろうと思わせる」(佐藤さん)。

 会場には「飛行兵立像」のレプリカのほか養成所の生徒を描写した14点のデッサン、訓練に使われた飛行機の部品なども展示。その近くに、大貝がずっと手放さなかった愛用のパレットも飾られている。

 大貝は終戦の翌年に結核のため諫早市で亡くなり、遺族は水巻町に転居した。東京から会場を訪れた長男の彌隆(やすたか)さん(78)は「ここは両親の思い出の地。戦後73年たって、母がずっと願っていた諫早での遺作展が開かれたことに感謝したい」と語った。来年1月27日まで、入場無料。

=2018/12/26付 西日本新聞夕刊=

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