【動画あり】「ごん太」謎のブーム 明治に誕生「一周回って新しい」 津屋崎人形の存続危機救う

西日本新聞

 笑っているのか、怒っているのか。何とも言えない表情を浮かべる「ごん太」は、福岡県福津市の津屋崎地区で240年余りの歴史を誇る郷土玩具「津屋崎人形」の一つ。身長15センチ、4200円と決して安くはない。それが今、店頭でもインターネットでも売り切れ状態が続いている。一体、何が起きているのか-。

 特命取材班はまず、福岡市内の民芸品店などを訪ね、「彼」を探した。「昨年9月ごろからいませんね」(30代店主)。ネット販売大手アマゾンも「再入荷の予定は立っておりません」という。

 そこで昨年12月、ごん太の「親」である原田誠さん(66)を訪ねた。1777年創業の「筑前津屋崎人形巧房」(福津市)の7代目人形師だ。工房の棚に、ごん太の姿はあった。

 「こいつは展示用。干支(えと)人形作りが忙しくて、新しいのは2月にならないと店に出ないかも」。原田さんは申し訳なさそうに話したが、事情はそれだけではなさそうだ。

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 津屋崎人形の起源は江戸時代にさかのぼる。地元の良質な陶土で器を作ったのが始まりで、人形作りへ発展した。練った土を一つ一つ型に詰め、形を整えて焼く。鮮やかな彩色が特徴だ。受け継がれてきた型は約1500点。原田さんは父から継ぎ、フクロウの声に似た音がする「モマ笛」や節句人形などを作ってきた。

 現在、人形工房は2軒を残すのみ。原田さんも、もう一人の人形師(81)も後継者がいなかった。

 原田さんは、300年以上続く「津屋崎祇園山笠」の唯一の人形師でもある。危機感を募らせた福津市は2015年、デザイナーの中庭日出海(ひでみ)さん(37)=福岡市=に津屋崎人形の販路開拓を依頼。そして中庭さんが出合ったのが、工房の片隅でほこりをかぶった、ごん太だった。

 明治時代、米粉を塗った赤ん坊のおしゃぶりとして作られたごん太。直立不動だが、よく見ると真っすぐ立てていない。いびつな後頭部、妙に大人びた顔立ち。見る人の心を映し出すような表情は、能面に通じるものがある。「矛盾だらけで、じわじわくる面白さ」に引かれた中庭さんは、ごん太の製作にも力を入れるよう原田さんにアドバイスした。

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 翌16年、原田さんは全国のおしゃれな雑貨が集まる国際見本市に初出展した。同行した長男の翔平さん(29)は意外な言葉を耳にする。有名店のバイヤーたちが「これヤバイ」「一周回って新しい」と、ごん太に興味を示したのだ。

 それまでは「人形を冷静に見たことがなかった」という翔平さん。中庭さんの誘いで手伝ううちに「まだやれることがある」と気付いた。工房を継ぐことを決め、公務員を退職。ネット発信を増やすと、ごん太の快進撃が始まる。

 雑貨メーカーやアーティストからコラボを持ち掛けられ、ニットや久留米絣(がすり)を着たり、外国人に変身したりして大人気に。締め込み姿の「山笠ごん太」も誕生した。

 原田さんの妻・千恵さん(60)は「大学生がわざわざ買いに来た時は驚いた」と話す。昨秋、テレビで紹介されたこともあり、売り切れが続いている。

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 ごん太の変貌ぶりに原田さん夫婦は、抵抗感はなかったのだろうか。

 「兵隊やキューピー人形を作る時代もあった。同じ型でも表情や装いを変え、変化し続けてきたのが津屋崎人形です」と原田さん。千恵さんも「私たちも同じ物ばっかり作るんじゃ飽きますもん」と笑う。

 ごん太に背中を押され、8代目として歩み始めた翔平さんにも気負いはない。「時代の流れに逆らわず、素朴さは残して。手作りの強みを生かしていきたい」と語った。

モマ笛の未来救った「デザイン力」 デザイナー・中庭日出海さんの仕事ぶり

=2019/01/14付 西日本新聞朝刊=

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