早世の歌人、平成短歌史に大きな波 有田町出身、笹井宏之さん没後10年 平明な言葉で深く響く

西日本新聞

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笹井宏之さん

英山をのぞむ泉山の白磁ケ丘相撲場。笹井さんはここを趣味のフルートの練習場にもしていた 碗琴を奏でる父孝司さん。いつも笹井さんの歌集を一緒に置いて演奏している 笹井さんの歌を紹介している有田観光協会のPR誌

 10年前のその日、有田町泉山は雪に白く覆われていた。2009年1月24日早朝、歌人笹井宏之=本名筒井宏之=さんが26年の生涯を全うした。優しくささやかな作風は新しい短歌の姿を切り開き、広く読みつがれている。

 今月10日、笹井さんの遺作を集めた「えーえんとくちから」(ちくま文庫)が出版された。

 〈えーえんとくちからえーえんとくちから 永遠解く力を下さい〉

 表題作から始まる短歌のほか、未発表の俳句や詩、エッセーも掲載。発売後5日で7千部を完売し重版が決まった。初版の特典紙には、笹井さんの歌集を近作「ダルちゃん」に描いた漫画家はるな檸檬(れもん)さん(35)=宮崎市出身=が書評を寄せている。「ありったけの誠実さと優しさで、それでもどこか静かに淡々として鮮やかな短歌たち」…。はるなさんは17日に有田町の笹井さん宅を訪ね、仏前で静かに涙をこぼした。

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 笹井さんは1982年に生まれ、有田小、有田中から武雄高に進学。自律神経に不調が出はじめ、療養生活の中で短歌を紡いだ。

 〈集めてはしかたないねとつぶやいて 燃やす林間学校だより〉

 親交があった歌人、須藤歩実さん(43)=福岡市=は、この一首に笹井さんの心持ちを見る。「『林間学校だより』の高揚感と、『しかたない』の脱力感。学校のみんなと一緒のことはできない、でも外の世界とつながっていたい。笹井君は短歌で生きる意味を問い続けていたと思います」。一首一首、時間をかけ推敲(すいこう)を重ねていたという。「いつも全力で野望もあり、言葉に対して本当に丁寧な人でした」

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 歌に詠み込まれた風景を歩く。

 〈皿山に皿の音ひびき一本の苗より生れし大樹のそよぎ〉

 有田皿山を見守る樹齢千年の大イチョウ。すぐそばの泉山磁石場の上には相撲場がある。

 〈くらやみでつっぱりをする力士からふっとばされて出会いましたね〉

 伊万里市民図書館もお気に入りの場所だった。

 〈この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい〉

 柿右衛門窯で開かれたチェロ奏者横坂源さんの演奏会も歌になっている。

 〈チェリストの弓は虚空を描きたり 最終音符に炎打して〉

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 「宏之の短歌からは音楽が聞こえてきます。無音もまた音として」。笹井さんの父で碗琴(わんきん)奏者の筒井孝司さん(67)はそう話す。碗琴は有田焼の皿を並べてばちで鳴らす楽器で、笹井さんも好んで奏でた。皿の数はくしくも短歌の字数(五七五七七)と同じ31個だ。

 筒井家は大正から約100年続いた有田焼窯元で、親子で窯を再興する夢も描いていたという。「ゆくゆくは有田焼の楽器を作ろうと話していたんです。工房名は朝寝坊をもじって『笹音房(ささねぼう)』にしようと」。

 笹井さんがインフルエンザによる高熱で亡くなったのは、そんな夢を語りあった数日後のことだった。

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 逝去の後、「ひとさらい」「てんとろり」「八月のフルート奏者」(いずれも書肆侃侃(しょしかんかん)房)など遺歌集が編まれ、若い世代の短歌ブームに影響を与えた。

 仙台市の歌人吉村桃香さん(24)も、高校時代に笹井さんの歌に出合い「衝撃と希望」を感じたひとりだ。

 〈あまがえる進化史上でお前らと別れた朝の雨が降ってる〉

 カエルと雨をともにする、確かな体感。吉村さんはこの歌に「すべての存在が、この世を分け合う隣人」であること、そして「歌を詠むとはこういう感覚に目を凝らすこと」だと気づかされたという。

 笹井さんの視点は近代短歌が志向した「私語り」ではなく、「あなた」との関係性に置かれた。その歌才を最も早く見いだした歌人加藤治郎さん(59)は笹井さんの登場を平成短歌史の「ひとつの大きな波」と位置づけ、「平明な言葉で読者の心に深く届く歌」として次の一首を慈しむ。

 〈ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす〉

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 地元有田町でも再評価の機運が高まっている。有田観光協会はフリーペーパー「アリタノヒビキ」誌上で、笹井さんの歌をアート作品にした「笹NO音」シリーズを展開。法泉寺の桃谷法信住職(70)は笹井さんの歌にメロディーをつけ曲に仕上げた。

 10年の節目にあたり、笹井さんの父孝司さんと母和子さんは、町の小中学校と図書館に歌集を寄贈することにしている。

=2019/01/24付 西日本新聞朝刊=

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