「野中さん」がいない政治

西日本新聞

 元官房長官の野中広務さんが昨年1月26日、92歳で亡くなってから、間もなく1年がたつ。

 「影の総理」「政界の狙撃手」と呼ばれた豪腕政治家である一方で、ハンセン病元患者や重度障害者など社会的弱者に寄り添う姿勢を見せ続けた。その二面性に独特の深みがあった。

 平成の政治を取材してきた記者たちにとって「最も人間探求したくなる政治家」の一人だったことは間違いない。

   ◇   ◇

 私が野中さんを担当したのは自治相時代の短期間だが、権力闘争の手腕を一瞬、垣間見たことがある。

 ある日の午後、省外での会合の後で野中さんと担当記者が懇談した。野中さんは途中、携帯電話を取り出して何事か話した。1990年代半ば、携帯電話がそれほど普及していなかった時代である。懇談が終わり次へ向かう途中、野中さんはこうつぶやいた。

 「○○のせがれ、つかまりよったでぇ」

 ○○とは、野中さんの宿敵だった小沢一郎新進党幹事長(当時)側近の有力議員。その息子が逮捕された事実を記者たちにいち早くリークしたのだった。

 翌日の朝刊に議員の息子である大手広告会社社員が大麻所持で逮捕されたという記事が小さく載った。この議員は辞職した。小沢氏には痛手だったろう。

 口調からして、野中さんは普段からこの息子の素行について知っていたのではないか、と感じた。えぐいなあ-。新米の政治担当だった私はうなった。

 その後、官房長官となった野中さんは、かつて「悪魔」と呼んだ小沢氏に「ひれ伏しても」の名言で連立政権をまとめた。必要なら宿敵とも手を組む。再び私は「えぐい」とうなった。

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 こんな身もふたもない権力闘争を繰り広げながら、野中さんは「数で押し切る」政治手法を嫌った。

 97年4月の衆院本会議。沖縄で米軍に提供する土地の中で使用期限が切れた部分について、国の権限で軍用地として使用できるようにする米軍用地特措法改正案が採決された。事前の合意で、議員の9割が賛成して可決の手はずだった。

 法案を審議した特別委の委員長として報告の壇上に立った野中さんは、沖縄の住民の悲惨な戦争体験に触れ「この法律が沖縄県民を軍靴で踏みにじることがないよう、そして再び国会の審議が大政翼賛会のようなことにならぬよう、お願いしたい」と警鐘を鳴らした。私見を交えた委員長報告など極めて異例である。

 沖縄への共感とともに、戦後民主主義を大事にする気持ちがにじみ出ている。理想主義とリアリズムの同居。「一筋縄ではいかない」。演説を聴きながら、そんな言葉が浮かんだ。

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 平成半ばから終盤の政界では、小泉純一郎政権や現在の安倍晋三政権の下、数の力に物を言わせる場面がめっきり増えた。味方は味方、敵は敵のまま固定され、調整も議論も必要とされなくなった。少数派への共感も失われる一方だ。

 政治が奥行きを欠き、薄っぺらになっているように思えてならない。ポスト平成をにらむ今、日本政治の風景から「野中さんの複雑さ」が消えつつあることに、私は一抹の不安と寂しさを覚えている。

 (特別論説委員)

=2019/01/20付 西日本新聞朝刊=

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