同僚の記者が突然、おえつを漏らし始めた

西日本新聞

 同僚の記者が突然、おえつを漏らし始めた。阪神大震災が発生した1995年1月、当時勤めていた東京の報道機関での出来事だ。私は被災地支援の動きを取材し、同期入社の彼は警察から次々に届く情報を基に、他の記者数人と犠牲者名簿を作っていた。

 母子とみられる20代の女性と生後数カ月の男児。家族だろうか…同じ名字の5人-。住所、氏名、年齢という限られた文字の陰に、幾千もの物語と無数の可能性があったに違いない。そんなことを考えながらキーボードに向かっているうち、感情があふれてしまったと同僚は言った。だが、亡くなった人たちの尊厳を思えばこそ、少しのミスも許されない。彼は涙を拭い、デスクに戻っていった。

 それから四半世紀近く。東日本大震災や熊本地震など自然の猛威は今もやまない。災害報道に携わるたび、彼の姿を思い起こし、人の生死に触れる私たちの仕事の意義を問い直している。 (山崎清文)

=2019/01/31付 西日本新聞朝刊=

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