「考えない」悪の凡庸さ 伊藤洋典氏

西日本新聞

熊本大教授伊藤洋典氏 拡大

熊本大教授伊藤洋典氏

◆ 政府の統計不正

 国の行政情報や統計の不適切な扱いが近年、相次いで露見している。南スーダン国連平和維持活動(PKO)や森友・加計(かけ)学園に絡む文書の隠蔽(いんぺい)、改ざんをはじめ、働き方改革や入管難民法改正での論議の基礎データ、障害者雇用率、毎月勤労統計と続く。官僚組織の宿痾(しゅくあ)か、政権への忖度(そんたく)か、政治的な介入か。全体主義の過ちを追究したドイツ出身の政治哲学者、ハンナ・アーレント(1906~75)の問題提起と関連づけて、考えてみた。

 ユダヤ人を強制収容所に移送する実務を担ったナチスドイツの役人、アイヒマンの裁判記録「エルサレムのアイヒマン」で、アーレントは「悪の凡庸さ」を語った。アイヒマンは狂信的反ユダヤ主義者ではない。妻子や父母らへの態度は模範的だった。出世欲がある役人で、ヒトラーの命令を法として最善を尽くした。ユダヤ人大量虐殺の一翼を担ったのは「怪物」でもなく、極悪人でもなく、普通の人間だった。その悪の何と凡庸なことか、と。

 アーレントはナチスのユダヤ人虐殺を、ある意味で行政機構が正常に作動した『行政的殺戮(さつりく)』と呼んだ。彼女が問題にしたのはアイヒマンの想像力の欠如だ。自分の仕事が結果として何をもたらすか、考えない。深い意図から大きな悪が生まれるのではなく、普通の業務として遂行して、大きな悪を引き起こしてしまう。この点は今の時代にも言えるのではないか。

 水俣病は、熊本大が有機水銀説を出した後もチッソは工場廃水を流し続け、国や熊本県は規制を怠り、被害を拡大させた。彼らは水俣市民に悪意があったわけではないだろうが、被害抑止より高度成長を選び、いまだ解決できない大きな問題を残した。地域開発でも、生活保護でも、被災者支援でもいったん目標・方針が決まると、市民への影響を考えずに所定の事務を粛々と遂行してしまう、というところがないだろうか。

 国の文書・情報の隠蔽、改ざん、統計の不適切な扱いも、同様の姿がのぞいている。厚生労働省の毎月勤労統計の不正集計は2004年から行われ、国民への不利益は考慮されず、延べ約2015万人が雇用保険、労災保険などで減額給付されていたという。賃金上昇率が正確に把握できず、経済政策や景気判断にも影響するという事態になった。昨年はひそかにデータ補正し、本来より過大な賃金上昇率を発表する、という顛末(てんまつ)もあった。

 行政情報や統計が遮断されたり、ゆがめられたり、書き換えられたりするということは、国民が正確な情報を共有し、公共的な問題を議論して答えを見いだすという民主主義の大前提、大原則が壊される、ということを意味する。さかのぼれば、成立した安保法制と集団的自衛権の行使容認も、国民が必要な情報を共有して十分議論されたとは言えない。南スーダンPKOの陸自の活動もきちんと文書に残され、国民が検証できるようにしておかないと、議論が成り立たない。

 安倍政権はかつてなく官僚支配を強化し、メディアに介入する。メディアは政権への忖度が目につく。国民は今、日本で何が起き、どんな状況なのか、政権が何をやっているのか、きちんと見えない状態に置かれていないだろうか。その中で、多くの国民が政治への関心をどんどん失っているとすると、非常に危うい。国民の目が届かず、強権的な政治を許す土壌が広がっていくからだ。「政治とは言論を交わす公共空間をつくり出すことだ」というアーレントの思想からみると危機的な状況かと思う。

    ◇      ◇

 伊藤 洋典(いとう・ひろのり)熊本大教授(政治思想) 1960年生まれ。九州大で法学博士号取得。2001年から熊本大教授。専門は政治思想。著書に「ハンナ・アレントと国民国家の世紀」など。

=2019/02/03付 西日本新聞朝刊=

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