誰が何のために?「線刻石仏」の謎 画像処理で姿“復元”

西日本新聞

不動明王の線刻仏画が彫られた石塔と、画像処理した写真を手にする上野盛夫さん 拡大

不動明王の線刻仏画が彫られた石塔と、画像処理した写真を手にする上野盛夫さん

上野さんが画像処理した「下八龍の線刻石仏」。溝の部分を彩色し、高さ1・3メートルの仏像画を表している

 大村市福重地区に集中し、自然石や石塔に細い溝を彫って描いた「線刻石仏」を知ってもらおうと、地元の福重郷土史同好会会長、上野盛夫さん(66)が写真展や写真集の出版を企画している。線刻石仏は長年の風雨で薄れて肉眼で確認しにくいが、上野さんは溝を丹念にたどり、写真を画像処理して見えやすくした。

 上野さんによると福重地区で確認された線刻石仏は弥勒寺町を中心に計13体。大きいものは長さ1メートルを超え、簡素な「納衣」をまとい、両手を隠した座像を幅数ミリのシンプルな線で描いたものが多い。平安末期から中世にかけ彫られたとみられるが、誰が、どのような目的で制作したのかは不明だ。

 かつて大村藩だった福重地区は16世紀後半、キリシタン大名の大村純忠が藩主だった時代に寺社が徹底的に破壊されている。「それを免れた線刻石仏は、キリシタンに反発した庶民の信仰の対象だったのでは」と上野さん。福重地区には線刻石仏のほかにも、石を彫った「滑石(かっせき)製平安仏」や「仏頭」が多く残る。

 上野さんは高校卒業後に関西の空港に勤務。退職して帰郷し、15年前に地元の郷土史講座に参加したのをきっかけに線刻石仏の調査を始めた。当初は仏画を和紙に転写する拓本を取り、地元の文化祭などで紹介していたが「一般の人には分かりにくかった」。

 思いついたのが、パソコンを使った画像処理。高解像度のデジタルカメラで線刻石仏を撮影し、写真を拡大して溝の部分を点描で彩色した。細かい線を確認するため現地に何度も足を運んで石の表面を洗い、1体の写真を完成するのに数カ月かかったことも。処理した写真は2010年から順次、自身のホームページで公開。このほど行方不明の1体を除く12体の写真をそろえた。

 これらの写真を展示する「福重の石仏写真展」を24日まで長崎市松が枝町のナガサキピースミュージアムで開くほか、3月には郷土史同好会として写真集も出版する予定。上野さんは「大分県臼杵市にも匹敵するような石仏文化が残る福重に足を運び、歴史散策を楽しんでほしい」と話す。

=2019/02/07付 西日本新聞朝刊=

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