戦時中、目の前で両親を殺され…満州での経験伝える85歳の思い

西日本新聞

「経験を若い人に伝えたい」と自伝出版の動機を語る長谷川忠雄さん 拡大

「経験を若い人に伝えたい」と自伝出版の動機を語る長谷川忠雄さん

長谷川さんの自伝「落葉して根に帰る」。戦争の愚かさ、2度と繰り返してはならないことを説いている

 佐世保市の長谷川忠雄さん(85)は太平洋戦争中を満州(現中国東北部)で過ごし、戦争末期に両親を賊徒に殺された。当時12歳。孤児となり、敗戦後は現地に取り残され、8年後に帰国できた。「私たち世代の経験を若い人たちに伝えたい」との思いから、時代と国家に翻弄(ほんろう)された人生をつづった自伝「落葉して根に帰る」を出版した。

 1930年、九州出身の両親が移民としてブラジルに渡り、3年後に長谷川さんが生まれた。戦時中は日本人移民への風当たりが強まり、一家は40年に帰国。すぐに満州へ移り、中国と旧ソ連の国境近くにある富錦という町で暮らした。

 45年8月9日、ソ連軍の侵攻が始まった。日本の役人たちはトラックで逃げ出し、見捨てられた民間人は徒歩での逃避を余儀なくされた。激しい砲撃を受けながら一家で隣町に逃げる途中、姉2人とはぐれた。中国人賊徒の襲撃を受け、目の前で両親を殺された。2歳下の弟文夫さん(故人)と2人だけが生き残った。

 逃げ込んだ村でソ連軍に捕らわれたが、銃殺される寸前で命を救ってくれた村人も中国人だった。「地獄の一歩手前で仏様に救われた気持ち」「この恩は生涯決して忘れることはできない」と自著で記す。

 その後、富錦から約100キロ南の宝清にあった日本人収容所に入り、収容所を出ると製粉会社で働いた。ある日、中国共産党の解放軍にいた日本人に誘われ、整備兵として戦車隊に加わった。こうした経験の中で中国語を覚えたという。

 中国残留日本人への関心が高まり、53年に帰国を果たす。造船会社や商社に勤め、現在は中国語通訳のボランティアとして活動。中国人強制連行・労働訴訟でも通訳を務めた。父のルーツだった九州に落ち着いた。

 いつの時代も戦況が悪化すると、国民が犠牲になる-。国家の本質を見抜く長谷川さんには、集団的自衛権行使を容認する安全保障関連法の成立など、近年の日本の動向が昭和初期と重なって見える。「私たちの経験を、若者たちが平和憲法を守り、磨きをかけていくための他山の石のひとかけらにしてほしい」。そんな思いを込め、中国の故事を自伝の題名にした。

 「落葉して根に帰る-満州にとり残された少年の戦争と戦後」。海鳥社から出版。1944円。

=2019/02/07付 西日本新聞朝刊=

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