シーボルト事件の新史料発見、獄死の通訳検視記録 長崎学研究所、3月の紀要に発表

西日本新聞

長崎学研究所が発見した「シーボルト事件」の新史料。表紙に阿蘭陀通詞の稲部市五郎の名前が書かれている 拡大

長崎学研究所が発見した「シーボルト事件」の新史料。表紙に阿蘭陀通詞の稲部市五郎の名前が書かれている

新史料には稲部市五郎の検視場所の見取り図もあった

 江戸時代後期、長崎に滞在したドイツ人医師シーボルトが日本地図を国外に持ち出そうとした「シーボルト事件」の新史料を、長崎市長崎学研究所が発見した。事件に関与して獄死した長崎の阿蘭陀通詞(オランダつうじ)(通訳)、稲部市五郎の検視記録。処罰した後も幕府が関係者を重要人物として扱っていたことが分かり、事件の影響の大きさがうかがえる。

 出島のオランダ商館医シーボルトは阿蘭陀通詞の協力を得て、国外への持ち出しが禁じられた日本地図を手に入れた。1828年の帰国時に発覚し、シーボルトは国外追放、仲介した通詞3人は終身刑になった。

 稲部市五郎(1786~1840)は末席の小通詞だったが、植物採集の案内役を務めるなどシーボルトに信頼されていた。上司の指示で地図を渡したことが罪になり、七日市藩(現在の群馬県富岡市)の監獄で病死したとされる。

 新史料は、幕府役人による検視に立ち会った七日市藩士が残した約60ページの文書。稲部が亡くなる1カ月前に体調を崩したこと、外傷の有無などを調べる検視の様子、監獄関係者への聞き取りが記録されている。

 シーボルト研究で知られる横浜薬科大の梶輝行教授(近世日蘭交渉史)は「シーボルトにかわいがられた稲部に関する史料は少ない。幕府が稲部を最期まで警戒していた様子が興味深い」と話す。

 医学の知識もあった稲部は七日市藩の医師と交流したとみられ、昭和期、監獄跡に顕彰碑が建てられた。投獄後から亡くなるまでの詳細は分かっておらず、長崎学研究所は史料発見を機に群馬県内を調査した。藤本健太郎学芸員(日本近世史)は「長崎発の知識が各地に与えた影響など、阿蘭陀通詞の全体像を明らかにしたい」と語る。

 研究所は2017年に東京の古書店から史料を購入した。3月発行の紀要で、その発見と研究結果を発表する。

=2019/02/22付 西日本新聞朝刊=