「あいつなら臓器提供する」18歳の命つないだ家族の決断

西日本新聞

臓器摘出手術を直後に控える四男の手を、長男、次男、三男、末っ子の長女が包んだ(家族提供) 拡大

臓器摘出手術を直後に控える四男の手を、長男、次男、三男、末っ子の長女が包んだ(家族提供)

 臓器移植法の下、国内で初めて行われた脳死移植から今月末で20年となる。年10件前後で推移していた臓器提供者は、本人の意思が不明でも家族の承諾があれば提供できる改正臓器移植法の施行(2010年)後、徐々に増えてきた。家族はどんな思いで提供を決断したのか。鹿児島県のある家族を訪ねた。

 最後の朝、仲良し5人きょうだいが久しぶりに手をつないだ。「みんなの役に立てるように頑張ってこいよ」。家族そろって、四男=当時(18)=を臓器摘出手術に送り出した。

 その2週間前の未明。母親(50)の携帯電話が鳴った。通信制高校に通う四男が「交通事故に遭った」との知らせだった。数時間前に「ちょっと行ってくる」と家を出たのを見送ったばかり。「けがでもしたかな」。重く受け止めてはいなかったが、現実は違った。

 重症の頭部外傷を負った四男は救急搬送された病院では十分な処置が難しく、ドクターヘリで大きな病院に運ばれた。明るく穏やかで、友達がいっぱいいて、卒業式を間近に控えていた。「会わせたい人がいれば呼んだ方がいい」。医師の言葉に、ヘリに同乗した父親(50)は状況を察した。呼吸をつかさどる脳幹が機能しておらず、自発呼吸は戻らない、との説明だった。遠方に暮らすきょうだいたちも駆け付けた。

 1週間後。医師から「息子さんには二つの道がある」と告げられた。一つは、つないでいる器具や管を外す選択。自然に臓器が弱り、命が尽きることになる。残された時間は2週間くらいという。もう一つは、臓器提供を選ぶ道だった。

 ドナーカードがなくても家族の承諾があれば臓器提供ができる。その晩、家族会議を開いた。両親の意見は一致していた。「五体満足で生まれてきたんだから、五体満足のまま、あの世に送り出してやりたい」

 きょうだいの意見は、もう一方の道で一致していた。「あいつの性格からして『臓器が欲しい人にあげたい』と絶対言うよ」と長男(27)。長女(17)は「お母さん、灰になったら何にもなくなってしまうよ」と言った。

 両親は数年前の、とある日を思い出した。たまたま見ていたテレビ番組が臓器移植を取り上げていた。四男は「助けた方がいいだろ。自分なら絶対提供するよ」と、さらっと口にした。その時は気にも留めなかった。きょうだいげんかすらしたことがない、子どもたちの迷いのない総意に「あの子の気持ちになれば、そうだな」。両親の心が動いた。

 2回の脳死判定を経て臓器摘出手術の朝が来た。集中治療室(ICU)で約1時間、家族水入らずで過ごした。事故の擦り傷がすっかり治った四男の心臓の音を聞いたり、顔を触ったり。最後は、ベッドの上で5人きょうだいが手と手を重ねた。温かかった。

 手術後、四男の心臓は真っ先に病院のヘリポートへ。「さよならじゃない。移植を受ける人、その家族、友人、たくさんの人を救ってくるんだよ」。大きく手を振り、四男の“門出”を家族全員で見送った。

 たくさんの管が取り外された四男は、くすっとはにかんだような顔をしていた。伸びたひげをそり、体を拭き、好きなスポーツブランドのTシャツを着せた。スポーツジムを開くことを夢見て、細身ながら鍛え上げられた体はこの日も、ただのTシャツをおしゃれに着こなした。

 「どんなお金持ちにも、どんな権威がある人にも、誰にもできないことをやった息子を誇りに思う」。父親は、葬儀、告別式に参列した千人の人々に胸を張った。同級生からは「かっこいい」とメッセージが届いた。

 四男の命は、多くの力で「つながれた」と感じる。事故直後に偶然通りかかって人工呼吸をしてくれた友人や、医療関係者のリレーでつないだ命が、臓器移植を受けた10代を含む6人の患者を救い、支え続けている。中には「余命1カ月」の人もいた、と聞いた。

 6人のその後は、鹿児島県移植コーディネーターの山口圭子さん(56)を介した手紙で伝わった。「無事に退院できた」「少しずつ復職している」「大好きな乳製品を食べられるようになった」。ドナー家族とレシピエント(移植を受ける患者)は互いの個人情報を知ることはできないが、ある人は「元気になったら里帰りさせていただきます」と記してくれていた。

 「家族にとって手紙が生きる励みになっている。息子は、私たちと同じ時代を生きているんだって」

=2019/02/24付 西日本新聞朝刊=

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