「臨時首都」を世界遺産に 朝鮮戦争時3年間の官公庁舎など 南北融和の今こそ教訓に

西日本新聞

韓国初代大統領が、朝鮮戦争時に暮らしていた「臨時首都記念館」。日本植民地時代に作られ、和洋折衷の建物に韓国風の内装が加えられている 拡大

韓国初代大統領が、朝鮮戦争時に暮らしていた「臨時首都記念館」。日本植民地時代に作られ、和洋折衷の建物に韓国風の内装が加えられている

朝鮮戦争時、ソウルから移転した臨時政府の庁舎として使われた建物。戦後も公的機関が利用していたが、現在は東亜大の博物館になっている

 韓国・釜山市は、市内に残っている朝鮮戦争(1950~53年)時の臨時首都に関連する遺跡について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産登録を目指している。釜山は一時、北朝鮮軍が攻め込んだソウルに代わり、韓国の首都となった歴史がある。朝鮮半島の南北融和ムードが高まる中、市や観光関係者は新たな観光資源として期待している。
 (釜山・丹村智子)

 庶民の台所で観光スポットでもある国際市場から約1キロ西の山裾に、釜山が1950年から3年近く首都だったことを物語る「臨時首都記念館」がある。127平方メートルの木造2階建て。日本統治時代の26年に慶尚南道の知事官舎として建てられ、朝鮮戦争で首都が移転された際には、初代大統領の李承晩(イスンマン)夫妻が暮らした。政治や外交の舞台になった応接室や書斎が再現され、戦時下の暮らしなどを紹介する資料も展示されている。

 文化観光解説士の朴素永(パクソヨン)さんによると、建物は独立後に床が畳から板張りになり、大統領が入居して応接室の暖炉や夫婦用の浴室を増築したという。用途が変わるたびに増改築し、和洋韓の様式が組み合わさった建物は、存在自体が韓国の近代史を体現している。朴さんは「韓国内に残る日本式の官舎で最も大きく、保存状態がよい建物です」と説明した。

 記念館から坂道を下った先に、「臨時首都政府庁舎」だった東亜大石堂博物館がある。釜山市は2015年の朝鮮戦争開戦65周年を機に、関連遺跡を世界遺産に登録しようと調査を進めてきた。ほかに軍事戦略に必要な気象情報を収集した「釜山地方気象庁」、元米国大使館の「釜山近代歴史館」、軍事物資の搬入口だった「釜山港第1埠頭」、さらに国連軍の司令部跡、訓練所跡(現釜山市民公園)、国連墓地がある。

 朝鮮戦争時の釜山について、釜山発展研究院の金〓(〓は「さんずい」に「瑩」)均(キムヒョンギュン)先任研究委員は「当時の人口より多くの避難民を受け入れ、火急の移転ながら首都としての機能を果たした」と強調する。

 負の遺産を見て回る「ダークツーリズム」が各国で注目を集める一方で、韓国では観光振興にどれほど貢献するか疑問視する声もある。釜山観光公社は、まずは市民の関心を喚起しようと、昨年7月から遺跡を巡る子ども向けのバスツアーを計22回開催し、これまで約700人が参加した。さらに専門ガイドの養成や、歴史を追体験するパフォーマンスなどが今後の案として上がっている。

 釜山市は25年の世界文化遺産登録を目指している。認められれば、韓国で初の近代遺産の登録となる。金先任研究委員は、南北の和平に向けた動きが活性化している今こそ「朝鮮戦争を反面教師として、また平和を守るための教訓として記録に残す必要がある」と期待を込める。

 ▼朝鮮戦争 1950年6月25日、東西冷戦を背景に北朝鮮軍が韓国に攻め込んで始まった戦争。韓国軍は一時、釜山周辺まで追い詰められ、政府をソウルから大田、大邱と南に移し、同年8月には釜山に移転した。韓国軍は米軍を主体とする国連軍の参戦で、中朝国境付近まで反撃。その後、北朝鮮軍に中国の人民義勇軍が加わり、戦線は北緯38度線付近に押し戻された。53年7月に国連軍と中朝が休戦協定に調印し、38度線付近に軍事境界線を設定した。韓国は休戦協定を拒否した。

=2019/02/25付 西日本新聞朝刊=