平和台を創った男 岡部平太伝 第2部(1)河童騒動 海と山で鍛えた自然児

西日本新聞 ふくおか都市圏版

 マラソンをはじめ数々の日本スポーツに科学トレーニングを取り入れ、生涯をコーチとして選手育成に尽くした岡部平太。自身も柔道、剣道、相撲、アメリカンフットボール、水泳、テニスなどの名選手として鳴らし、「天狗(てんぐ)」と呼ばれた。

 スポーツ万能の素養は、故郷の芥屋村(現糸島市)で培われた。岡部が生まれたのは1891(明治24)年。糸島半島にまだ鉄道はなく、玄界灘の大海原が広がり、糸島富士(可也(かや)山)が見下ろす自然豊かな村で育った。

 岡部は少年時代について、こう述懐している。

 「遊ぶ場所といえば、海や山、田畑。いたずらには少しの不自由もなかった」

 学校から帰ると山を走って登り、農家が育てた果物を食べ散らかす。田んぼや畑で戦争ごっこをして荒らし回る典型的な「悪僧(わるそう)坊主」だった。

 体を動かしていないと気が済まない性分で、夜は家を抜け出して浜辺を走り、疲れ果てて炭焼き小屋で一晩過ごしたこともあった。

 その悪僧ぶりが、村の一大事になったエピソードがある。

 通学していた小学校の近くにため池があった。岡部が1人で泳いでいると、漁師のおかみさんが歩いてくる。岡部は「驚かせてやろう」と、ハスの葉を頭に乗せた。その途端、おかみさんは「河童(かっぱ)だ」と大声を出して走り去り、村中のうわさになった。

 話はここで終わらない。その後、近くで人が溺死する事件が起こり、「河童の仕業だ」と大騒ぎになったのだ。岡部は正直に告白しようと思ったが、「父にどんな目に合わされるかわからないので黙っていた」と振り返っている。

 おいの岡部剛一(81)=糸島市志摩新町=は「悪僧ぶりは相当なものだったようだ。それにしても、自然相手に鍛えた体は強かった」と振り返る。幼い頃から家の前の引津(ひきつ)湾で1キロ以上離れた対岸まで泳ぎ、50代後半になっても「見事なクロールで泳いでいて驚いた」と言う。

 河童騒動には続きがある。岡部は晩年、この話を東京教育大の会報雑誌に書いた。すると、言語学者の金田一京助が編集した高校3年の国語の教科書に掲載されたのだ。タイトルは「生きていた河童の話」。ではなぜ、教材として採用されたのだろうか。岡部の文章が卓越していたからか、話が面白かったからか…。今もってわからない。

 =文中、写真とも敬称略

※小説「Peace Hill 天狗と呼ばれた男 岡部平太物語(上)」(著者・橘京平、幻冬舎刊、1,200円)が好評発売中

=2019/02/25付 西日本新聞朝刊=

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