「命のビザ」つないだ外交官…根井三郎の知られざる功績 杉原千畝とユダヤ難民救う

 第2次世界大戦中、ナチス・ドイツに迫害されたユダヤ系難民のため杉原千畝(ちうね)(1900~86)が発給した「命のビザ」を引き継いで亡命を手助けした外交官、根井三郎(1902~92)の功績を後世に伝える取り組みが、生誕地の宮崎市佐土原町で広がっている。世界各地で難民を巡る対応が社会問題化し、国内では官僚の「忖度(そんたく)」が取り沙汰される今、自身の利益を顧みず、人道的に行動した気骨ある外交官が「命」のバトンをつないだリレーが注目されている。

 駐リトアニア領事代理だった杉原は1940年7月から9月にかけ、外務省の訓令に反して、ナチスの迫害から逃れようとしたユダヤ人に約2千通の日本通過ビザを発給。家族を含め約6千人の命を救ったとされ、国際的に知られている。

 一方、杉原の思いをつなぎ、多くの難民を救済した根井の功績は日本国内でもあまり知られていない。

 難民の大半はシベリア鉄道で移動後、日本への航路があったソ連極東・ウラジオストクへ。現地の総領事代理だった根井が41年3月に外務省と交わした電報が外交史料館に残っている。

 外務省は軍事同盟を結んでいたドイツに配慮し、杉原が発給したビザを再検閲するよう根井に命じた。だが、根井は「国際的信用から考えて面白からず」と異を唱え、ビザを持つユダヤ人難民らを敦賀港(福井県)行きの船に乗せ、ビザを持たない者には独断でビザや渡航証明書を発給した。

 上陸先の敦賀や神戸では市民が温かい手を差し伸べた。杉原、根井のバトンを継いだ神学者小辻節三(1899~1973)は国に働き掛け、行き先が決まるまで滞在を延長させた。

 根井は戦後、法務省に移り、名古屋入国管理事務所(現管理局)の所長を最後に引退。難民を助けた理由は語らぬまま90歳で他界したため、古里でも功績は知られていなかった。

 だが近年、福井県敦賀市の元職員で、杉原と小辻の研究者古江孝治さん(68)による調査をきっかけに2016年3月、宮崎市佐土原町の親族宅で根井の写真が見つかった。同年8月には同市で「根井三郎を顕彰する会」が発足。翌年には、関東在住の孫が家族とのアルバムや将棋盤などの遺品を受け継いでいることが判明。根井が長崎県立大村中を卒業後、外務省に入省していたことも分かった。

 杉原千畝記念財団理事を務める古江さんは「ユダヤ難民救済は杉原だけの力で成し得たものではなく、根井ら陰で支えた人も評価すべきだ」と語る。顕彰する会の根井翼会長(76)は「侍のような素晴らしい宮崎生まれの外交官がいたことを多くの人に知ってほしい」と話している。

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 同会は根井の家族写真など50点を集めた資料展を4日まで開催中。2日午後2時から、イスラエル政府の「ヤド・バシェム(諸国民の中の正義の人)賞」に根井を推薦している大学教授や古江さんらによる講演会がある。いずれも同市佐土原総合文化センターで。無料。同会=0985(73)1111。

=2019/03/01付 西日本新聞夕刊=

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