桃太郎像、戦争が翻弄 物語を絵本に 到津遊園に設置、大分に現存

西日本新聞 北九州版

かつては到津遊園にあり、現在は大分県玖珠町に立つ桃太郎像(同町提供) 拡大

かつては到津遊園にあり、現在は大分県玖珠町に立つ桃太郎像(同町提供)

「ももたろうからのてがみ」を出版し、原画展を開いている原賀いずみさん

 「日本のアンデルセン」と呼ばれる童話作家の久留島武彦(1874~1960)の提案で、小倉北区の到津遊園(現到津の森公園)に建てられた「桃太郎」の銅像を紹介する絵本を、絵本作家の原賀いずみさん(60)=小倉南区=が出版した。像は戦争中の金属供出を免れ、久留島の故郷の大分県玖珠町に今も立つ。原賀さんは「戦争に翻弄(ほんろう)された桃太郎像の物語で、平和のメッセージを伝えたい」と話す。

 絵本は「ももたろうからのてがみ」と題し、桃太郎像が読者に語り掛ける形式。像ができた経緯や戦中のエピソードを、水彩や色鉛筆で柔らかく表現した。

 久留島は各地で子どもに童話を語る「口演童話」に取り組んだ。1937年に始まった到津遊園の林間学園で初代学園長を務めるなど北九州との縁も深い。桃太郎が動物と一緒に鬼退治をする昔話を通じ、違いを認め、支え合うことの大切さを説いた久留島は、旧知の彫刻家渡辺長男に像の制作を依頼。3体を鋳造し、36年に神戸市の林間学校に、37年に奈良県の公園に、38年に到津遊園に設置された。

 第2次世界大戦中は、到津遊園の桃太郎像も金属供出の対象になった。当時、同園の職員で後に園長となる童話作家の阿南哲朗は「桃太郎像を子どもと見送りたいから、今日は帰ってほしい」と回収を断り、像を守った。他2体は供出されたとされる。戦後は占領軍側から「戦意高揚の象徴」として壊すよう命じられた。阿南がひそかに隠して免れ、像は49年、玖珠町に移設された。

 原賀さんは「何かを伝えるために、1体が残ったのだと思う。語り継ぎたい現代の民話です」と話す。

 4月から全国の書店で販売。1300円(税別)。9日まで、小倉北区京町1丁目の北九州文学サロンで原画展を開催している。

=2019/03/07付 西日本新聞朝刊=

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