「逃げた」「神経質」…二重三重の孤独に苦しむ自主避難者 東日本大震災8年

西日本新聞

実家のナシ園の写真を見て懐かしむ荒木千尋さん=5日夜、北九州市 拡大

実家のナシ園の写真を見て懐かしむ荒木千尋さん=5日夜、北九州市

 東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故は、多くの人から古里を奪った。北九州市で暮らす荒木千尋さん(38)は、国が指定する避難区域外からの自主避難者。茨城県の実家のナシ園から放射性セシウムが検出されたのを機に、家族で移住した。人生設計は狂い、元の生活は戻らない。「神経質では」と、心ない視線が向けられることもある。専門家は「関東からの避難者は、二重三重の孤独にさいなまれ続けるケースがある」と指摘する。

 荒木さんは夫とともに、祖父母が営むナシ園を継ぐはずだった。2010年12月、ナシ園の近くに自宅を新築。仕事を辞めた夫とのナシ作りは順調だった。長男は2歳、長女は生まれたばかり。自然の豊かな場所で、土に触れながら子どもたちを丈夫に育てたい。理想の暮らしが続くはずだった。

 11年3月11日の大震災。家族は皆、無事だった。ただ、土地は汚染された。ナシからは微量のセシウムが検出された。まきストーブを使うと線量計の数値が跳ね上がった。育てた野菜も、井戸水も使えない。「本当に子どもの食事や外遊びが安全なのか、分からない」。震災から1年後、土地を離れることを決めた。

 北九州市は夫の出身地。移住後に「放射線を気にしすぎではないか」と言う夫との間にすれ違いが生じ、結婚10年で別れた。避難者たちが定期的に集まっていた交流会も、最近は開かれなくなった。

 臨床心理士の黒瀬まり子さん(福岡市東区)は、荒木さんたち避難者の相談に乗り、関東圏からの移住者が置かれた状況を調査してきた。黒瀬さんによると、関東圏はあまり被災地と見なされず、自主避難者は「好きで移住してきた人たち」と見られることもあるという。健康被害への不安を口にすると「過剰反応」「神経質」とやゆされた、という人も多い。「地元では、逃げたと言われた人もいる。関東からの移住者たちは二重三重の孤独に苦しめられている」と話す。

 実家のナシ園では、存続を望む祖父母とともに樹木の表皮を削ったり、放射性物質を吸着する性質があるゼオライトをまいたりした。セシウムなど放射性物質の数値は検出限界以下になった。それでも、将来的に現在の規模を維持するのは難しい。縮小するために、今年はナシの木を切り倒す作業に入った。

 今、荒木さんは職業訓練校に通いながら3人の子を育てている。あの事故から8年。「子どもを第一に避難したことを後悔してはいません。だけど、原発事故がなかったら…。そう思わない日もありません」

=2019/03/08付 西日本新聞朝刊=

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