帰還者「先祖代々の農地を放っておけぬ」【「復興」見えたか~原発事故の被災地から(上)】

西日本新聞

空き地や、野生化した動物への注意を呼び掛ける看板が目立つ富岡町内。人の姿はほとんどない=2月28日 拡大

空き地や、野生化した動物への注意を呼び掛ける看板が目立つ富岡町内。人の姿はほとんどない=2月28日

地元産食材のかき揚げに舌鼓を打つ住民たち。セシウムが基準値を超えたフキノトウは除かれた=2月27日 タマネギの苗が並ぶビニールハウスで「富岡の農業再生を目指す」と意気込む渡辺董綱さん=3日

 2月27日午前。福島県富岡町の会社事務所。長崎大の折田真紀子助教(31)=放射線影響学=が台所で天ぷらを揚げていた。香ばしい匂いが食欲をそそる。

 住民が8人集まってきた。原発事故被災地の住民と専門家が意見を交わす「リスクコミュニケーション」。環境省の事業で、原爆被爆者の健康管理で実績のある長崎大が支援している。

 「地元の食材でかき揚げを作りました。渡辺さんにもらったタマネギ。他にタラノメ、春菊。放射性物質は検出されませんでした。後で食べましょう」。折田助教の言葉に、タマネギを提供した渡辺董綱(とうこう)さん(65)の頬が緩んだ。「でも、フキノトウがセシウムの基準値を超えました。健康に影響ないレベルだけど、食べません」

 複雑な表情を見せる住民たち。やがて、阿久津きみ子さん(66)がつぶやいた。「放射能ばかり気にしても、前向いて生きてけねえぞ」

■「故郷の食べ物よくも悪く言えっぺな」

 窓が割れた店。ロープを張った住宅。人になかなか会わない。町が誘致を進める太陽光発電のパネルがあちこちに広がる。

 福島第1原発の南5~15キロにある富岡町。2017年4月に全町避難が帰還困難区域を除いて解除され、住民票のある約1万3千人の7割が居住可能になった。だが、住むのは877人にとどまる。

 阿久津さんは、避難先でうつ病になった夫(79)の故郷での回復を願い、避難解除に先立つ「長期宿泊」で16年9月に帰還した。夫は病状が好転した。

 帰還者が増えない最大の要因を、住民が放射能を「気にし過ぎる」ことだと考えている。桜が美しく、山菜が豊かだった富岡町。「基準値を守れば大丈夫なのに汚染って騒いで…。故郷の自然や食べ物をよくも悪く言えっぺな」。目が潤んでいた。

■「事故前と全く違う町になった」

 3月初め、避難解除に合わせて全面開業した商業施設「さくらモールとみおか」をのぞいた。総菜売り場に作業着の男性が目立つ。居住者の中には、新規転入して復興や廃炉に携わる作業員も多い。単身が大部分で女性や子どもはなかなか増えない。

 「もう帰らない」。避難した福島県郡山市から富岡町の職場に通う男性(39)は断言した。理由は放射能ではない。「同級生は誰も戻らず、同世代は知らない人ばかり。事故前と全く違う町になった」からだ。子どもが少なく、4カ月の長女に友達ができるかも心配だ。

 女性(47)は帰還を選んだ。夫は福島第1原発に勤め、戻らなければ単身赴任になっていた。「2歳の長男のためにも、一緒の暮らしを優先した。正しかったかどうかは、分からない」

■「世界で最も厳しい環境だからこそ」

 渡辺さんの自宅に寄った。タマネギの苗がびっしり並んだビニールハウスが玄関前に4棟。4ヘクタールの畑も広がる。

 もともとはコメ農家だった。「先祖代々の農地を放っておけない」と17年9月に帰還。「タマネギはセシウムを吸収しにくい」と聞き転換した。判断は的中。セシウムは全く検出されず、1年目の昨期は面積当たりで稲作当時を超える収入を達成した。今期は大手外食業者への納入話が進む。

 ただ、いつ風評被害を受けるか分からない。町は農業をあきらめ、太陽光発電の用地に農地を賃貸する農家が相次ぎ、事故前の700戸から6戸に激減した。

 「農業に世界で最も厳しい環境」。渡辺さんは自覚する。「だからこそ」と言う。「『復興五輪』で復興は終わりじゃない。始まったばかりだ。俺は富岡で農業を成立させる。それが復興。金メダルものだ」。顔に力がみなぎった。

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 東日本大震災に伴う福島第1原発事故から11日で8年。政府は来年の東京五輪を復興の節目と位置付けるが、被災地の再生は進んだのか。2年前に大部分の避難が解除された富岡町と、近く一部解除を目指す福島県大熊町の住民を訪ねた。

=2019/03/10付 西日本新聞朝刊=