医師に転身した女性 被災地体験きっかけ、30歳で医学部合格

西日本新聞

外科用のシミュレーション装置を使い、縫合手術の練習をする市川宏美さん=2月末、長崎県佐世保市 拡大

外科用のシミュレーション装置を使い、縫合手術の練習をする市川宏美さん=2月末、長崎県佐世保市

被災地でがれきの撤去作業をする市川宏美さん(右)=2011年、宮城県石巻市

 「誰かを助けられる力を身に付けたい」。東日本大震災の1カ月後、ボランティアとして訪れた宮城県石巻市で見た光景、人々の生きざまが、一人の女性の人生の進路を変えた。千葉市出身の市川宏美さん(36)は勤めていた東京の製薬会社の職を辞し、今、長崎県佐世保市の病院で研修医として患者と向き合う日々を送っている。

 2011年3月。東京の地下鉄ホームであの日の揺れを体験した。東北と縁はなかったが、想像を絶する被害と惨状が次々に報じられる中で、居ても立ってもいられなくなった。地震発生から1カ月後。有給休暇を取り、バスで10時間かけて、大津波に襲われた宮城県石巻市へ向かった。

 崩れた家から泥をかき出し、一輪車で運ぶ作業の毎日。風でまき散る粉じん。強烈な臭いがつんと鼻を突き、服に染み付いた。津波が押し流してきたのか、そこにあるはずのないイカが腐乱して泥に埋まっていた。泥だらけの写真を見つけると、そこに写る人々の安否を心配しながら、丁寧に汚れを拭った。

 強豪で知られる一橋大の端艇(ボート)部で腕を鳴らした身。体力に自信はあった。でも、被災地で日々を過ごすうち、自分には何かが欠けていると思うようになった。道路をふさぐ大木をチェーンソーで手際よく切る人、英語ができる人、子どもを喜ばす絵が描ける人。「他の皆さんは専門分野を持って役に立っているのに、私は…」

 約1週間の活動を終えた後も、東北の被災地へ何度も足を運んだ。そのたびに、自分の中で無力感が募っていった。会社の仕事は充実していたし、収入にも不満はなかった。考え抜いて、医師を目指そうと決めた。何より「人を助けられる力」にあこがれた。

 その冬、辞表を出し、受験勉強を始めた。予備校や図書館で1日12時間の猛勉強。翌年、長崎大医学部の社会人編入試験に30歳で合格した。熱帯医学や放射線医学分野で全国有数の実績を持つところに引かれた。

 一回り下の同級生とともに学び、卒業した17年から佐世保中央病院に勤める。「2度目の新人で一番下っ端。でも、やりがいを感じます」。上司が執刀する手術に加わり、内視鏡を手に技術を吸収している。

 「私にはこれがある、と思える技術が欲しかった。外科医として一人前になって、困っている人を助けたい」。あの震災が人生を一変させた。でも選んだ道に間違いはなかった。患者の笑顔と接しながら、そう確信している。

=2019/03/10付 西日本新聞朝刊=