【おおいた再考】(5)人口減 山間部 未来かけ苦闘

西日本新聞

 宇佐市院内町の屋所和幸さん(69)宅にある6畳和室のテーブルには食べきれないほどの手料理が並んでいた。屋所さんが山で取った自然薯のとろろご飯に、妻の明美さん(68)が近くで摘んだ山菜で作ったおひたし、最近メニューに加えたという「カレーしゃぶしゃぶ」など10品以上。「それじゃ乾杯」。三重県津市からの女性客2人を迎えた夕食は、地元産ワインと共に始まった。

 都市と農村の交流を進めるグリーンツーリズムは1996年、全国に先駆けて旧安心院町(同市)で始まった。農家が親類を迎えるようにもてなす「農泊」というスタイルはバブル崩壊後の世で人気となり、スタート時に年間30人程度だった利用客は、近年は年間1万人前後で推移するまでに成長した。受け入れ農家は旧院内町や由布市、杵築市50軒に及び、最高で年間300万円超の副収入をもたらしている。

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 「平松守彦前知事の『超』がつくリーダーシップがなければ今はなかった」

 NPO法人「安心院町グリーンツーリズム研究会」の宮田静一会長(69)は述懐する。96年当時、不特定多数を宿泊させるには旅館業法や食品衛生法の営業許可が必要。客室は5室以上で、台所と別に調理場も設けなければならない。増改築の経済的負担は大きく、農家の「ありのままの暮らし」を見せる農泊の意味さえも否定するものだった。

 「グレーゾーン」で始まった農泊は2002年、県のある通知をきっかけに動いた。営業許可権限のある県が一定の条件で農泊を認める方針に転換したのだ。宮田会長は後に、平松前知事が“特例”を渋る県幹部に強い指示を出して実現した通知だったと知る。

 過疎化に悩む山村は農泊に希望を見いだし、他県からの視察が相次ぐ。17日には安心院町グリーンツーリズム研究会が事務局となり、全国組織が結成された。

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 安心院町は05年3月、宇佐市と合併。平成の30年間で人口は3千人以上減り6390人、65歳以上の住民が占める高齢化率は44・98%(いずれも1月1日現在)。宮田会長は「農泊がなければ安心院はもっと衰退していた」と言う。近くに住む長男の宗武さん(44)も「農泊がなければ地元にとどまらなかった」。宮田会長は「手続きが煩雑なため、県への許可申請に二の足を踏む農家は多い。農村振興には、もう一段の規制緩和が必要」と訴える。

 だが“特技”がある地域ばかりではない。同じ山間部の旧山国町(中津市)は、平成の30年間でほぼ人口が半減し2264人、高齢化率は51・0%(同1月末現在)と、市平均の1・7倍だ。05年3月の中津市との合併後は過疎化に拍車が掛かり、町唯一のスーパーは10年ほど前に閉店。買い物さえ難しくなっている。昨年、半世紀にわたり移動販売をしていた木下弘子さん(75)が廃業することになり、市は年間数百万円を投じて事業を引き継ぐことを決めた。行政が運営を担うのは県内初の試みだ。

 「中津市中心部から30キロ以上離れた山国町の衰退は止められない。市にできることは、今住んでいる高齢者の不便を多少とも緩和することぐらい」(市幹部)

 都市部をはるかに超えるテンポで進む山間部の高齢化と人口減少。即効性のある対策は見つからぬまま、未来への苦悩が深まっている。

=2019/03/18付 西日本新聞朝刊=

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