フォーク編<417>永井龍雲(20)

西日本新聞

 永井龍雲の歌に「お遍路」という作品がある。セカンドアルバム「発熱」(1979年)の中に収録されている。

 〈鈴を打ちならし 日翳(ひかげ)を選んで通る あれはお遍路よ 島を巡り歩く 人生の重みを杖(つえ)一つで…〉

 デビューしたばかりの20歳ころの作品だ。実際に、バックパッカーとして3万円だけ持って、別府(大分県)から船に乗って四国に渡った。その旅の見聞から生まれた。

 「親の苦労などを見てきて人生をテーマに曲を作りたいと思いました。デビューを果たして甘い環境に慣れ過ぎてはいけないという思いもあり、自分自身を厳しい環境に置きたいこともありました」

 それから38年後の2017年、お遍路として一番札所から八十八番札所まで四国八十八カ所を歩いて巡礼した。4回に分けて、計約40日間で巡った。この年、龍雲の姉が63歳で死去した。

 「年齢が近く、一番、長い時間を過ごしました。高校生の姉が聴くビートルズや、観(み)ていたサウンド・オブ・ミュージックの映画などから、少なからぬ影響を受けました」

 龍雲の歌の最大の理解者だった姉を思っての巡礼だった。

 母をモチーフにした歌は少なくないが、まだ、姉への追悼歌は作品化されていない。

 「思いを詞に綴(つづ)ってはいるが、まだ心が辛くて曲にするまでには至っていません」

   ×    ×

 龍雲は歌の道でもお遍路だったといえる。福岡県みやこ町から18歳で上京し、すぐに戻った福岡市、久留米市を拠点に約5年間、活動した。再上京して1999年には沖縄に移住した。その間、立ち止まったり、いくつかの岐路もあったりした。

 「確たる目的も自信もなく、ただ漠然とした夢のみを手に歩き始めた道ではありましたが、途中で止めずに歩き続けた。ただそれだけでも、一人前の人として成長させてもらえたんだなと思う」

 これまで残したアルバムは歌の巡礼旅の「納め札」ともいえるかもしれない。

 「プロとしての入り口がフォークソングを信奉してそのジャンルからの出発ではあったが、現在はクラシックを含めあらゆる音楽に対して敬意を払うようになった」

 アルバム作りとライブ、そして楽曲の提供が現在の仕事の三本柱だ。自分と歌の、同行二人。心に染み入る歌を求めて、歩み続けている。

 (田代俊一郎)

=2019/04/08付 西日本新聞夕刊=

PR

連載 アクセスランキング

PR

注目のテーマ