リハビリ指導22年、退職 総合せき損センター・西村さん 車いすテニス大会「黎明期に関われ幸せ」

西日本新聞 筑豊版

3月末で総合せき損センターを退職した西村朗さん 拡大

3月末で総合せき損センターを退職した西村朗さん

 専門治療施設「総合せき損センター」(飯塚市)の中央リハビリテーション部長を務めた西村朗さん(60)が3月末に退職した。理学療法士として22年間、同センターでリハビリの指導に力を注いだだけでなく、飯塚国際車いすテニス大会にも関わった。23日の開幕を前に西村さんは「多くの患者や仲間と知り合えただけでなく、車いすテニスの広がりも実感できた。せき損センターで働けて本当に良かった。今大会にも期待したい」と話している。

 西村さんは遠賀町出身。高校のころ、母が入院した病院で患者のリハビリを担当する理学療法士を見て「やりがいのある仕事だ」と感じたという。高校卒業後、北九州市の九州リハビリテーション大学校に進学し、1982年4月、同センターに就職した。

 同センターは79年6月に診療開始。脊髄脊椎疾患患者の手術から社会復帰の支援までを担っており、「他の病院と違って、長期間にわたって患者と接する。社会復帰後も関係が続き、患者から旅行や結婚式に誘われたのは大切な思い出だ」と振り返る。

 米国発祥の車いすテニスが国内に伝わったのは80年代。同センターは患者のリハビリのプログラムとして取り入れた。患者、ケースワーカー、医師らを中心に大会開催の機運が高まり、85年に第1回飯塚大会が開かれた。西村さんはボランティアに選手の輸送や車いすの扱い方を教えた。

 飯塚大会は2004年、世界四大大会(グランドスラム)に次ぐアジア唯一のスーパーシリーズに昇格。昨年は天皇杯、皇后杯が贈られた。同年5月、会場で試合を見て「こんなに大きな大会になり、レベルが上がるとは思わなかった。黎明(れいめい)期に関われ、幸せだった」と感じたという。

 一時期、管理職として岡山や山口の病院に勤務したが、2016年に同センターに戻り、理学療法士や作業療法士をまとめる部長として働いた。「患者からの『ありがとうございました』という一言があったから頑張れた。22年間、働けたことは宝だ。後輩も患者に寄り添う気持ちを忘れずに、リハビリの指導に取り組んでほしい」と力を込めた。

=2019/04/14付 西日本新聞朝刊=