庭の桃に亡き娘重ね 益城町・橋村さん 「ももか、お帰り」 「いのち」の詩、胸に前へ

西日本新聞

 淡いピンク色の花が初めて咲いた。3月末、熊本県益城町の自宅の庭で、桃の枝を見つめる橋村りかさん(46)の胸に、昨年9月に亡くなった長女のももかさん(享年17)への思いがあふれた。「ももかの花が、咲いたよ」。自宅を購入した15年前、庭に植わっていた桃の老木。伐採した切り株から3年前、思いがけず新芽を出し、今年初めて花を付けた。まるで娘が帰ってきたかのようだった。

 夫婦と子ども3人の5人家族。脳性まひのももかさんは、ほとんど体を動かせなかった。気管を切開していて話すこともできず、表情と足の動きがコミュニケーションの手段だった。

 2016年4月16日未明、熊本地震の本震が発生。突然の大きな横揺れに、介護ベッドが大きく揺すぶられた。夫がももかさんを抱きかかえ、家族みんなで外へ飛び出した。話せない娘は青ざめて、ずっと震えていた。自宅は全壊した。

 約3カ月の避難所生活を終え、仮設住宅に入居。春に松橋支援学校高等部(同県宇城市)に入学したももかさんが、わずかに動く右手でペンを持ち、筆談を覚えたのは、このころだった。

 じしんはこわい/じしんはこわい/はやくおわるといいな(略)

 最初に書いたのが、地震。初めて娘の「言葉」に触れた感慨と同時に、それまで吐き出せなかった恐怖を思い、胸が詰まった。

 その年の11月、30分ほど仮設の自宅を留守にして戻ると、娘は顔色をなくし、呼吸をしていなかった。胸の鼓動も止まっている。命に関わる発作は、幼いころから何度も繰り返していた。救急車を呼び、必死で心臓マッサージをした。

 3日間の入院後、仮設に戻った娘は手紙のような詩を書いた。タイトルは「いのち」。

 いのちはたいせつ/いのちはだいじ(略)/おかあさん/いのちをくれて/ありがとう/みんなありがとう

 「私はももかの母だけど、中身はこの子が育ててくれている」

 仮設団地での生活は、地域の人たちと一緒で心強くはあったが、狭い室内では車いすが使えず、不自由を強いられた。ようやく自宅の修繕が終わった昨年7月、わが家に戻ってきて、娘は安心した顔をしていた。

 2カ月後の9月16日。眠ったまま逝った。泣いて、泣いて、放心した。

 小中学校の友人たちが写真を飾ったボードを届けてくれた。意志が強く、学校が大好きで、いつもみんなに囲まれていた。今年3月の卒業式では同級生が遺影を持ち、卒業証書を受け取ってくれた。

 桃の季節に生まれ、百の香りを放つ花のような魅力的な人にと願いを込めて名付けた「ももか」。あらためて、名前のような娘だったと感じた。

 巡り合わせだろうか。地震の年に現れたひこばえが、娘を失った悲しみの庭に花を咲かせた。背を押されている気がする。「怖かった地震からもう3年だね。いのちはたいせつ。一日一日を大切に生きていくからね」

=2019/04/14付 西日本新聞朝刊=

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