【小児がん 母と娘の闘病日記】(10)母から 体は限界「誰か娘を助けて」

西日本新聞 医療面

専門病院に運ばれる際、病棟の仲間がくれたメッセージ(写真の一部を加工しています) 拡大

専門病院に運ばれる際、病棟の仲間がくれたメッセージ(写真の一部を加工しています)

 芙優(ふゆ)の白血病の治療は進んでいきました。治療が一つ終わると主治医の判定があり、家族は個室に呼ばれて説明を聞きます。そのたびに「悪い結果なのでは」と不安で仕方ありませんでした。

 主治医の説明は「化学療法(抗がん剤)だけで治療しましょう」。骨髄移植はしないと聞き、少しほっとしました。とてもつらい治療だと聞いていたから。

 それでも、芙優の吐き気は強く、1日に何度も吐き、頭痛や腹痛、出血、脱毛とさまざまな副作用に耐える毎日。楽しみにしていた院内学級はふらふらになりながら通っていました。

 異変が起こったのは、間もなく最後の治療という9歳の6月。ずっと苦しめられていた腹痛が強い痛み止めで何とか治まってきた日の夜、付き添っていた夫から電話がありました。「芙優の様子がおかしい」

 翌日、病院に駆け付けると、芙優は言葉がほとんど出ないし、耳と口を交互に触る手が止まらず、顔面まひもある。まるで赤ちゃんのように、近づくもの全てに触れたがります。

 「原因は脳だろう」と検査が始まり、個室で寝たきりになってしまいました。発熱、口内炎、急性膵炎(すいえん)、全身を異常が襲いました。点滴を外したがるので、夜は点灯したままの電気をタオルで覆い、看護師がいつでも急変に対応できるようにして眠りました。

 2週間たち、やはり脳の異常と判断され、救急車で専門病院へ。使っていた抗がん剤などを全て中止すると、少しずつ回復していきました。

 この子の体はもう限界を超えたんだ。急性膵炎を患い、絶食していたために棒のようになった手や脚。「誰か芙優を助けて!」。何度心の中で叫んだでしょうか。薬は効いても体への負担は計り知れないのだと痛感した日々でした。

(山本章子=がんの子どもを守る会九州北支部代表幹事)

=2019/04/08付 西日本新聞朝刊=

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