フォーク編<418>永井龍雲(21)

西日本新聞

40年近く龍雲を支持する池田(中央)=2012年 拡大

40年近く龍雲を支持する池田(中央)=2012年

 池田由季子(77)=さいたま市=は1984年に私設ファンクラブ「龍雲ミュージックフレンズ」を立ち上げた。永井龍雲との出会いはラジオ番組「オールナイトニッポン」だった。この深夜放送を毎日、聴いていた池田はある日、ラジオから流れる龍雲のデビュー曲「想(おも)い」(1978年)を耳にした。

 「それまで龍雲さんの名前も知らなかった。声、詞、メロディーがいい。これを聞いてファンになりました」

 その「オールナイトニッポン」のパーソナリティーに龍雲がなったのは1981年だ。池田は目立つようにプリントゴッコを使って、凝った龍雲のイラストの入ったリクエストはがきを送った。リクエスト曲はかぐや姫の「神田川」だった。龍雲は1回目の放送で、池田のはがきを採用した。以後、池田は龍雲のアルバムが出れば手に取り、関東でのコンサートには子どもの手を引いて欠かさず、駆け付けた。

 「龍雲さんの魅力をもっと多くの人に知ってもらいたい」

 その思いからファンクラブを作った。大阪、鹿児島に支部も置く全国ネットで、会員数は約60人だった。同時に会報「りゅううん」も制作した。創刊号はノート大の、カラー版6ページ。龍雲の次のような趣旨のメッセージも掲載した。

 「デビュー7年を迎え、勝負時のような気がします。歌を作ることの意味、そしてそれを歌うことにより、僕がはたす役割がわかりかけてきた」

 池田は1994年、家庭の事情などもあってファンクラブを閉じた。自費で、編集までこなした会報は12号まで刊行した。もちろん、私設ファンクラブが終わっても龍雲への支持は現在も変わらない。龍雲の魅力について池田は端的に言った。

 「普通の歌は一度、聴くと通り過ぎていきますが、龍雲さんの歌は体の中に、心の中にとどまります」

 この評価は池田だけでなく、龍雲ファンに共通するものだ。永続的で固定的なファンたち。龍雲は幸せなシンガー・ソングライターと言える。

   ×    ×

 龍雲を取材して強く感じたことは、龍雲は「あの人は今」といった一過性、一発屋の文脈で語る存在ではないことだ。飾らずに、誠実に、愚直に歌い続けている男だ。池田が「うまく歳を重ねている」と語るように、これからも沖縄を拠点にして龍雲自体の願いでもある「心の中にとどまる」歌を届けてくれるだろう。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2019/04/15付 西日本新聞夕刊=

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