「『ついでに拾っとけ』という程度のことだった」

西日本新聞

 「『ついでに拾っとけ』という程度のことだった」。黄金期の西鉄ライオンズを支えた「鉄腕」稲尾和久さんの入団にまつわるエピソードが、本紙先輩諸氏が書いた冊子に紹介されている。大量採用時代の「バブル入社組」としては、稲尾さんの意外なスタートラインに親近感を覚えた。

 鳴り物入りで入団したライバルを横目に、打撃練習の投手に腐らずコントロールを磨いた。慢心しそうなときは父の口癖の「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」を思い出し、投げ続けたという。反骨心と謙虚さと、「拾ってくれた神」への感謝が「神様、仏様」の技術と人間性を鍛えた。

 大分県別府市の生誕地近くの神社に4月、直筆サインが刻まれたボールとバット形の石碑が市内の旅館から移設された。その境内ではかつて、稲尾少年が三角野球に明け暮れた。令和の時代にも引き継ぎたい「昭和の大エース」。その伝説の始まりに触れてみては。 (原田克美)

=2019/04/18付 西日本新聞朝刊=

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